昨日、母が夕飯の支度を放り出して
テレビの画面を食い入るように見ていました。
母の様子が珍しかったので、
私もつられて見てしまったのですが
結構衝撃的だったので、備忘録がてら感想を書いてみました。
タイの海岸沿いの片田舎に住む独り者の小説家?の一週間が淡々と描かれた短編ドラマでした。
朝起きてコーヒーを飲み、海岸を散歩し、
聞こえてくる波の音、全く進まない原稿…
台詞も音楽もほとんどなく、
話もあるようで無いような。
不思議と退屈さを感じなくて、
母の言う通り、何か分からないけど見てしまう。
海岸でひとり暮らす男の、
唯一の心の拠り所だった飼い犬のクマ。
しかし飼い犬が突然行方不明になり、
一週間後に発見されて戻ってきた。
話らしい話はここくらい。
『クマが無事に見つかった。しかし、私が喜んだほどには、クマにたいして喜んだ様子は見られなかった。がっかりしたが、きっとクマも疲れていたのだろう。
クマが私の元に戻ってきた偶然を計算してみた。それは二十万六千六百分の一のチャンスだった。
仮に偶然としても只の偶然ではなく何か力の加わったものである事は確かだと思う。
然し私の耄碌した頭ではその何かとは一体なんだろう、と思うだけでそれ以上はもう考えられない』
クマのそっけなさと、クマの態度にがっかりしつつも戻ってきた喜びに車の中で泣きむせぶ男w
あるあるだしわかりみ深いし、滑稽だし(笑)
志賀直哉で母と爆笑するなんて、これもまた20万分の1の確率か。
志賀直哉って、こんなに面白かったっけ?
城の崎にてと暗夜行路くらいしか知らないけど、深刻で神経質そうな印象が強くて、笑える場面なんてあったか?と思ったのですが、タイ人の解釈する志賀直哉は全く斬新で新しくて、全体的に脱力系でゆるくてクスッと笑える、とても面白い作品でした。
独特の写実的描写はちゃんと残しながら、今時の明るさと、タイの優しさとおおらかさ、心地よい自然なゆるみが加わり、心温まる話に仕上がってました。
こんな風に解釈で全く新鮮に見えてくるのも、異文化コラボならではの面白さで、いろんな解釈や価値観を自由に楽しめるのは人間の特権ですねえ。
これを見るまで読み直してみようなんて一度も思ったことがなかった作家でしたが(笑)、志賀直哉って本当はこれくらいゆるかったのかも?なんて思えてくるくらい、あの深刻な文体からすっと重さが抜けた世界観を楽しめました。
コロナ疲れの日常を束の間ゆるめてくれる、清涼剤のように心地良い短編ドラマでした。
いつか再放送があれば是非、おすすめしたいです。
きっとこれまでの志賀直哉観が、新鮮な感じでガラッと変わるのではないでしょうか。
〜ドラマ紹介は以下より〜
NHKはアジアの子どもたちを取り巻く社会状況の相互理解を目的とした子どもドラマシリーズをABU(アジア太平洋放送連合)と連携して続けてきました。2005年から始まったこのプロジェクトは、今年で17回目を迎えます。その参加メンバーであるタイ公共放送(Thai PBS)とNHKがタッグを組んで、このたび短編ドラマを制作しました。
日本文学の名作を、現代のタイを舞台に描くという初めての試み。数ある名作の中から、タイのスタッフが選んだ原作は、志賀直哉の『盲亀浮木』でした。
志賀直哉(1883~1971)は、明治から昭和にかけて活躍した小説家で、「城の崎にて」「小僧の神様」「暗夜行路」などの作品で知られています。写実の名手で、無駄を省いた文章は、日本文学の文体の理想のひとつと見なされ、「小説の神様」と称せられるほどに高い評価を得ています。
『盲亀浮木』は、志賀直哉が80歳の時に発表した短編で、大洋を漂う浮木を求めて、百年目に海底から首を出した盲目の亀が、たまたま木に一つしか開いていない穴から首を出したという「盲亀浮木」の寓話になぞらえて、身の回りで起こった偶然の数々を描いた作品です。
50年以上前に書かれた志賀直哉の短編が、なぜ現代のタイの制作者たちの心をとらえたのか?装いも新たに甦ったドラマ『盲亀浮木~人生に起こる小さな奇跡~』をお楽しみください。
〜『盲亀浮木~人生に起こる小さな奇跡~』
公式サイトより引用〜


