“神様、あたしは十四歳です。
あたしは(ずっと)今まではずっといい子でした。
一体あたしにいま、何が起こっているのか、教えてください。”
アリス・ウォーカー「カラーパープル」
「今まで読んだ中で、一番心に残る“愛がテーマ”の本は何か?」と聞かれたら、私は真っ先に迷うことなくこの本と答えるだろう。
この本に出逢ったのは高校の時だ。
夏の暑い日、冷房の効いた保健室で授業をサボっていると、たまたま別の学年の国語の女性教師が入ってきたが、彼女は他の教師のように私を見て嫌な顔をする事もなく、気さくにおしゃべりをしてくれた。それがきっかけで私は彼女を好きになり、次第に進路や自分の夢を話すようになった。そんな頃「あなたに是非読んで欲しい本があるの」と、彼女が貸してくれたのがこの本だった。
多感な反抗期の少女にさらりとこの本を薦めるとは、なんて聡明で素敵な女性だったのだろう。この本と彼女に巡り合った事は私にとって幸運だった。
「カラーパープル」は、1900年に入って間もなくの南部アメリカに生きた女性のお話です。
この本は全米でベストセラーになり、作者のアリス・ウォーカーは黒人女性初のピュリッツァー賞を取り、後にスピルバーグによって映画化された。(私は映画はまだ未見)
物語は、主人公の少女セリーが神様に語りかける形で進んでいく。黒人差別、男女差別、とりわけ黒人女性に対する悲惨な環境が当たり前だった時代、DVの父親と体の弱い母親の間に生まれた貧困家庭の少女セリーは、幼い頃からむごい虐待と性的虐待の挙句、売られたも同然で、愛する妹の身代わりとして他の黒人と結婚させられてしまうのだ。
“あたし、姉さんをここに置いていくのが嫌だ。姉さんが生き埋めにされるのを見るようなものだもの。
生き埋めにされるほうがまだましだって、あたしは思った。埋められちまったら、あたしは働かなくて済む。でも、あたしのことは大丈夫。G・O・Dってスペルが書けるうちは、話しかける相手がいるからいい。”
“彼女は続けて言う。姉さん、闘って。闘わなきゃだめ。
だけどあたし、どうやって闘えばいいのかわからない。あたしはその日一日を生きるのに精いっぱいなんです。”
結婚後も彼女は夫に奴隷以下の生活を強いられ、虐げられ、希望のない灰色の毎日を送っていた。そんなある日、彼女の夫は美しい歌手・シャグを家に連れてきたのだった――
“人は誰でもシャグのこと、愛さないではいられないんだよ。
あの人、人の愛にこたえられる人だから。”
自由奔放に生きる女性歌手シャグと奴隷のようなセリーの間に生まれた奇妙な友情は、彼女たちの周囲を次第に変えていく。
非情で日常的に暴力を振るうセリーの夫や意地悪な彼の連れ子たちとの日々、セリーの本当の父と母に起きた壮絶な悲劇、地獄の日々から逃げるようにアフリカに渡った生き別れの妹ネッティーとの奇跡の再会を通して、生きる喜びと自由をみずみずしく書き上げている。
“神様なんかなにさ、あたし、言い返した。
シャグはセリー!って絶句してた。ショックだったみたい。神様はあんたに命と健康を与え、あんたを死ぬまで愛する私をあたえてくれたじゃないか。
――ああ、そうよ!そのうえ、私刑された父さん、気が狂った母さん、犬にも劣る義父、あたしがもう二度と会えない妹もね!神様ってのは、下世話でくそったれの男なのさ。”
アリスの文章はオースターや村上春樹のように技巧的で洗練されているわけではない。
全体を通してセリーの独白(一人称)で書き綴られているのだが、驚くほどに読みやすい。
“セリー、神ってのは彼でも彼女でもない。「それ」なの。
――それ?それって、どんなふうなものなの?
どんなふうにも見えない。何か形のあるものではないから。あんたやあたしやいろんなものから切り離して、それ自体見えるものではないの。神ってそのものなの。今ある全てのもの、今まであった全てのもの、これからある全てのもの。それが感じられるとき、それを感じることが出来て嬉しいとき、あんたは「それ」を見つけたということ。”
アリス自身、「精霊が私にこの文章を書かせた」と言っているが、物語を読み進めるほど
本当にそうかもしれない、と思う何かを感じずにはいられない。
ページをめくるたび、セリーの語る言葉のひとつひとつが、何も覆わぬ、疑わぬ、飾らぬ愛と人間の本質を教えてくれる。
長い苦しみと悲しみ、絶望と忍耐の長い長い年月を経て、老いた彼女はこう言う。
“でも、あたしたち自身は誰も年をとったとなんか思っていないと思う。
それに、あたしたち、とても幸福なのだ。
ほんとうを言って、今までにこんなに若く感じたことはない。”
この本には、人肌と同じ温度がある。
誰にも愛されたことがないと絶望しているとき
愛されたいのに愛してもらえなかったと悲しむとき
誰かを愛す方法がわからないと悩むとき―――
この本はきっと、読むものの凍えた手足と心を心地良く温めてくれるだろう。