日本の素敵な文化の一つに(わびさび)の世界がある。そして(あ・うん)の世界が普通に広がっている。日本には四季があるからこそ(わびさび)を感じられる。春、夏、秋、冬と自然が移り変わる。自然の移り変わりは人の感性に強烈に響く。そして生活そのものに深くかかわってくる。
 私は奄美大島で生まれ育ちました。亜熱帯といわれる位置づけですがありがたいことに四季があります。春の幕開けは水面に輝く日の光が優しくそれとは対照的に強烈な緑のエネルギーが村中にあふれています。山に行けば圧倒されるほど強烈ですので、病気の方もそのエネルギーを浴びることで体が癒されます。そして海では春の魚や貝が豊富にとれます。都会にはない貝もあります。畑では赤土にあった手のひらサイズのじゃがいもが春の初めにとれます。畑の道側には山菜が食べきれないほど採れます。夏には夏のもの、秋には秋の、冬には冬の、日本は山の幸、海の幸が目の前に展開されます。まるで神様のプレゼントのような世界が繰り広げられるのです。
 幸せそのものです。
 四季があるからこそ、わびさびの世界を感じられるのです。日本語にもあるように(そこはかとなく)という言葉は日本にしかないと思います。こういう風に日本語にしかない言葉が存在しているのも日本人の感性に影響を与えていると思います。擬音語、擬態語、と言葉の表現の仕方が多数あり、これを駆使することでまた世界が広がっていくと思います。一つの物を表現する為に日本語は多様性があり、そこからまた世界が広がっていくので無限の可能性を感じてならないのです。
 そして(あ・うん)の呼吸、相手の息遣いを感じ、意図する空間。だから日本の古典落語とかが面白い。漫才も(あ・うん)の呼吸の間、がとても大事。そして間がリズムに変わっていく。それがまた面白い。だから私はお笑いが大好き。高尚な遊びだと思います。これは褒め言葉です。

 私の好きな文字、日本語、有名な角田先生が(日本語は他の言語と違って特殊な言葉と言われている。虫の鳴き声が音楽に聞こえるのは日本人だけ)だそうです。日本で生まれて6歳まで日本にいた人は親が外国人だったとしても虫の鳴き声が音楽に聞こえるそうです。それは日本語を使っているからだそうです。
 もしかしたら日本に生まれ、日本で生活することは本当は特別な嬉しい出来事で実際に日本に住んで暮らしている人たちは知らないと思います。
 近年、世界中の人たちが日本を見直しています。特に教養がある人たちが率先して日本に住みたいと言っています。私たちが灯台下暗しにならないようにしなければいけないと心から思いました。