こんにちわんこそばいのうえです。

 

昨年12月から妹一家との同居が始まりまして、早半年が過ぎました。

前から書いているけど、ずっと前からこうして暮らしているような、つい最近だったような、不思議な感覚です。

この間妹ちゃんと話していたんですが、離婚するにあたって、私の家に住まわせてもらえないか?と最初のクエスチョンっていつだった??って。

結構前で私は断固拒否。一人暮らしをこじらせていたし、お母さんの物が捨てられないと思ったんですね。お母さんの思い出がたくさん詰まった家だから。

 

私の家庭環境は複雑で父親だけで3人、母親だけで2人。妹のえみちゃんとは母親が同じ異父姉妹です。

一緒に暮らした経験は彼女が生まれたての頃と私が高二からの3年間、大人になってから8年くらい。

色々あって私がこの家を買った時もエミはもう妊娠していて(計算外w)お嫁に行ったのでした。

だからたいして一緒に過ごしたわけではないのですが、仲は良かったんです。私は顔を知らない兄弟全部合わせると7人も血縁がいるのに、仲良しで妹と認識できて愛情もあるのは異父姉妹のりか(井上家)とえみ(井上家)だけだったんです。

 

それでも家族一家で引っ越してくるのは大反対でした。もう絶対だめ!!!と譲らなかったのですが、

 

彼女はものすごく根気強い。

 

何年かかけて説得。説得と言っても毎回遊びに来るたびに言う訳じゃなく、この子何しに来たんだろ??と思う事も多く、なるべく私と過ごす時間を作って何も言わずに、ならしてたのかな??ww

 

そうしてとうとう条件付きで、私が折れる事になってしまいました。だって行くとこないんだもん仕方ないか…が最終的に私が思った事。

 

それでも引っ越し前、大きなカウンターがうちに運ばれてきて、それをリビングで組み立てて設置した時、私が爆発して、「もういやだ!考え直させてくれ!!」となったこともあります(引っ越し3週間前)

今まで無かった家具がそこにあるだけで圧迫感と生活が変わるんだという事を目の当たりにして切れちゃったんですよ。

 

一人きりの生活は孤独で、そして自由でした。母を亡くした大きな穴は埋まることは無いけれど、思い出と一緒に暮らすことはそれはそれで私に安心感を与えてくれていました。

 

それが全部なくなってしまうのは、私にとって苦痛以外の何物でもなかった。いつか自分が納得して処分するまでは。

 

それでも彼女は根気強かった。

怒り狂う私の話をちゃんと聞いて、折衷案も出してくれて、えみはえみで大変だったろうと思います。

 

私は私の生活を変えない。

これは私が出した条件の一つですが、なんだかんだかわりました。

お皿を洗う事や洗濯物を畳むことは私の仕事になりましたが、エミの生活を間近で見ていると、ほんの少しの助けでもエミは楽になるかな、と思って私が自ら始めた事です。

子供たちはもう大きいし思春期真っ盛りなので、自室から出てこないので顔を合わせるのは夕飯の時くらい。それでも、エミが作ったご飯をみんなで食べる時間は尊いし、私はその時間を大事にしています。

夕飯作ってる時にエミと何となく会話するのも楽しい時間です。

 

人生って予測しがちなんですけど、この未来は完全に予測していなかったです(笑)まさかこの年になって妹一家と同居するなんて、ね。

いつかは子供たちも巣立って、私とエミだけになって、二人ともおばあちゃんになって、仲良く過ごすのかな??とか思います。

 

なんだかんだあったけど、半年。幸せな半年でした。

これからも続いていくであろうこの生活を何気なく、そして大事に過ごしていきたいと思います。