こんにちは。
いつもいいね!やコメントありがとうございます。
とっても勇気を頂いています。ありがとうございます。
13日、母の中で、何かが変わった日。
それ以来、母はかなり元気になってきました。
意思の疎通もだいぶとれるようになって、少し以前の母に戻ったような感じで、昨日は、本当に何週間ぶりにおかゆをけっこうたべてくれました。
…それでも相変わらず私が毎日来ている事は忘れてしまうんですが(;^_^A
いまは「断薬」をしています。
色々な副作用が出たので、一時断薬という事だそうです。
今回抗がん剤を変えたことから、副作用として粘膜をかなりやられてしまいました。
口の中は真っ赤にはれ上がり、目からは血の涙を流し、口からも血。意識混濁に入り全く意思の疎通もとれない状態でした。身動き一つとることもなく、ただ昏々と眠り続けていました。
それが断薬をしたあとから、みるみる回復してきました。
昨日も笑顔を見せてくれて、「早くおうち帰りたいよ」と言って泣いたり、ご飯を自ら食べたり。
もちろん脳をやられているので、意味が分からない事も発言してしまいますが、介助は必要なものの、お手洗いにたってみたり、「れいかだいすき」と言ってくれたり、混濁を起こしていた時とは比べ物にならないほどの回復でした。それでも痛い、痒い、と訴えていますが。
…どちらがいいのだろう。
昨日少し元気な母を見ながら、私はそんな風に考えていました。
また投薬を開始したら、元のように意識混濁が始まって、意思の疎通は取れない、その代わり「痛い」「苦しい」「辛い」と言う感覚は混濁の中でわからないままなんだと思うんです。
断薬をし続ければ、人として「喜怒哀楽」をもち、意思の疎通をはかれて、とてもいい時間を過ごすことが出来る。
でも、断薬することで、命の時間は短くなってしまう。
そして、そろそろでてくるであろう、「痛み」。
勝子は育ての母で、
私には貴美子と言う実母がいますが、若年性アルツハイマーで、色々な事を忘れてしまった。
自分の目で最初それを見た時、もちろん私の事もわからなかったのだけれど、酷くショックを受けたことがあります。
それでも、彼女は全部忘れた方が幸せなんだ、ってある時気付くことになります。
辛いのは周りだけで、何もかも忘れた「本人」はとても楽しそうだったから。
出来るだけ長い時間、コミュニケーションをとって笑顔をみたいけれど、
それは「断薬」しているからで、体は蝕まれている…。
残酷な二択。でも本人にとって「なにもわからなくなる」というのが、
一番つらくなくていいのではないかな…そんな風に思いました。
あと、こういう事も、覚悟しなくてはいけません。
これでも安い方ですよ。今回が一番安い1か月です。
ある程度のお金を持っていなければ闘病すらままならないのか、と思う瞬間でもあります。
ほぼ、差額ベッド代ですけれど、ね。
こういうの、オープンにして、偉い人たちは考えるべきだと思う。
本当にお金持っていなければ、治療すらできないって事を。
そういう部分で国が変わって行くことを、切に願います。