今から20日ほど前。

 

髄膜炎と脳転移が認められ、一気に状況が変わりました。

本当に、もう帰ろうね、と言っていた矢先の出来事でした。

明らかに昨日とは別人になってしまった、母。

検査の結果は、あまりにも厳しいものでした。

 

命の時間は、あとどれくらいですか?の問いに、

主治医は、あまりにも残酷な「統計」を教えてくれました。あくまでも、統計、統計でしかない事。わかっていても、私は泣きに泣きました。

それからほんの少しの時間、私は考えて、

最も母が望むことをかなえる「終活」を目指すことにします。

 

母が会いたがっていた人に会わせる事。

まずここがスタートでした。

母はそもそも内弁慶な人なので、会いたい、といっても本当に数えるくらいしかいません。それでも毎日入れ代わり立ち代わり誰かしらが会いに来てくれる事を、母はふしぎには思いませんでした。

時間や曜日の感覚がずれてしまうし、すぐ忘れて、急に思い出すので、「最後に会いに来た」という事がわからないんですね。

 

そうやって最初の10日が過ぎ、次の10日間は、明らかに衰弱してきました。それでも、私に会うと笑顔も見せてくれるし、顔を撫でてくれる。写真を見せればこのちゃんやマイリーだと一目で理解して、「娘と息子…」と呟く。

 

全部治療を続けながら、の出来事です。

今は脳への放射線のアプローチをしています。それも明日には終わります。これは、髄膜にちらかった癌細胞を少しでも減らすためだそうで、これをやることで、コミュニケーションが多少なりともとれる、と言うのが目的なんだそうです。同時に、髄膜炎が最も命を縮めてしまう病気であるので、そこを叩くことによって命の時間を長くする、という事です。

 

そして次に、家に戻す事。

ずっと家に帰りたい、と言っていた母の一番の希望です。

それでも、今までのように、一階の母の部屋に置いておくわけにはいかないので、二階を空けてそこに介護ベッドを入れられるように準備をはじめます。

今はもう泥棒入りました??みたいに全部の階がなっちゃっているのですが、もうちょっと頑張って片づけなければ、ね。

 

そして、私自身の準備。心の準備なんかできるわけがないので、そこはほっておくことにする!

実母、貴美子の介護で培ったものはフルに生かさなくては。(不死身なやつは死んではいないが!!!w)

お寺に電話したり、そういえば互助会入らされてたな、と調べたり、一番いやだなぁ、と思ったのが、ネイルをオフった事。本当に準備なんだと思って、かなり避けてきたのだけれど…。

お母さんは「散骨して!」っていっていたけれど、それはかなえてあげられないなぁと考えたり、家族葬で落ち着くんだろうか、これって…と、リアルな事も考えたりします。

 

気付けば20日が過ぎて、「統計の日程」は回避できている事に気づきました。統計でしかないな、本当に。ここで振り回されてはいけないんだな、って。(毎回振り回されちゃうんだよー!)

 

今日も会いに行ってきました。癌が再発しているので新しい抗がん剤を投与していますが、それの副作用が出始めています。

それでも、意識が朦朧としているので、あまり辛そうではなく、ただ眠っているように見えます。目が覚めて私がいると、驚いて、ニコニコっとしてくれますが、また眠りに入って、また目覚めて、また驚きます(w そしてまたニコニコっとしてくれます。

耳があまり聞こえないので、「帰るよ、また来るね」の合図がいつしか、おでこにちゅキスマークになりました(アメリカ?w

 

調子がいい時はベッドを立てて座って写真を眺めたりします。

病院のご飯はほぼ食べず、私が食べているおにぎりをほんの少し口にしたりすることも。(今日はお稲荷さんを食べましたよ、一口)

 

今はまだ痛みが出て来てはいないので、このままできる限り穏やかに過ごしてほしいと切に切に思っています。痛くなったり辛くなったりしないように、そして残っている時間が母にとっていい時間になりますように。そして、その時間が沢山ありますように。

 

母の「終活」を全力でサポートして見守っていきたいと思います。

 

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今年一月、退院間近だったころの母^^

この後退院してずっと入院せず、頑張っていました!

まだまだ頑張ります!