大好きな人に、その人の「勲章」のようなものを消してほしいとお願いしなくてはいけない。

私はどんな思いでその人がその勲章を手に入れたか知っているから、

余計に苦しい。

それはその人が生きてきた歴史の中の一部であって、

とても尊いものだと私は思う。


それでも笑いながら「いいよ」と言ってくれる彼は、

やっぱり信頼できる人なんだと改めて思った。


今悔し泣きしてます。

そんなことをお願いしなくてはいけない自分に悔し泣き。


私もここには全部書けない程の壮絶な人生送ってきた。

大御曹司の隠し子で、それを認めてもらえずに10年以上貴美子母は裁判で戦った。

今じゃDNA鑑定なんてすぐできるようだけど、当時は難しかった。

そんな訳があるとも知らずに、私は「ママ」とやる「初めての作業」に一喜一憂した。

唾液を取ったり鼻水を取ったり粘膜を取ったり、

それでも「ママ」といられる事が嬉しくて、痛い事も我慢した。


きゃっきゃしている私を見て、勝子母と貴美子母は泣いていた。

その意味すら理解できなかった。


その後貴美子が結婚し、そこに引き取られ、私を待ち受けていたものは、

「パパと呼びなさい」と言われた人からの暴力しかなかった。

暴力だけではない。書けない事もある。


かわいそうですかね。

でもそれがあって、今の自分があるんです。

そこで耐え抜いてきたことや、幾度も立ちはだかってくる試練があったから、

だからこそ、今の自分がいるんです。

「生まなきゃよかった」何度言われたかわからない言葉だし、

貴美子母が妊娠が分かったと同時にプールに入って私を堕胎しようとしていた事は、

本当の父からはじめて聞かされました。

私が生まれたことを誰一人喜ぶわけではなく。

裁判で勝った後は、

「この子は金になる子だから大事に育てなさいよ」と、おばあちゃんに言われたと勝子母は言っていました。

そんな勝子母にも私より年上の子供がいていき別れ。

私が探して合わせることになった時には、

「あんたに会えたら死んでもいいと思っていた」とか、

「レイカをアンタだと思って育ててきた」とか、

私自身の事は何も見てくれていなかったのか?私は私ではなく代わりだったのか…。

そんな風に突きつけられた現実すらあります。


だからなんなんだ。

私の歴史であって、だからこそ、今の私がいるんだ。


その人にだって、その人の歴史があって今のその人がいるんだ。

それでも、

私はその人と仕事がしたいから、お願いをしなくてはいけない。

ゴメンナサイとありがとうが入り乱れる感情の中で。


悔しい。