まだ、私を育ててくれた父(伯父、実母貴美子の兄で、養母勝子の夫)が生きていた頃のお話。


その日、物凄い雪が降って、物凄い積っていたのを覚えています。

そこにかかってきた電話は、「父、危篤」の知らせ。

雪の中病院へ向かった私。


病名は「脳出血」。

ICUに入れられ、今日が山です、と言われる。

本当に突然の出来事でした。

でもその山を越えた父。

最初は酷かった、私の事を誰だかわからず、

「くみちゃん」とか呼んでいた。むかっ誰だよむかっ

勝子母の事は「ちょっとそこのおばさん!」とかね。勝子母激怒w


その時にお医者から言われたのは、

「元に戻れません」って事でした。

歩く事も、思い出す事も出来ないでしょう、と。


その父が、いきなり歩行器につかまって、

すーーーーーっと歩いた時のことは今でも鮮明に覚えています。

私は病院の廊下で泣き崩れて、勝子母への「交換日記」

→当時、私が昼、勝子母が夜で一日中介護していた。

…に「おとーさん歩いた!!」と書きなぐった記憶が。


そのあと無事退院して、多少不自由にはなったものの、

肝臓癌を患って亡くなる前まで、

勝子母や私の事が「わからない」なんてことはなかったです。

ずっと、父のままで、生きていてくれました。


さて、なんでこんな事を書いているのかといいますと、

思い出したからなのですが、

何故思い出したかといいますと。


ここのところ、また「危なかった」貴美子母が。


今ですね。

今晩寝る前の最後のオムツ替えに行ったらですね。


トイレの往復を。


自力歩行しました…。


思わず。


拍手してしまいました。


もちろん、捕まりながら、ですけれどね、私にじゃなくて、壁とか、ベットの手すりにね?


たかだか1メートル位の距離ですけれどね?

もちろん、オムツの着脱は自分で出来ないし、お尻も拭けないけれどね?


でもね、必死で歩いた訳ですよ。

誰の手も借りずに。

今日はたまたま調子が良かったのかもしれないけれどね。

たまたまが続くかもしれないのですよ。


ヒトノチカラ。


凄い。


そんな私は、今日物凄く疲れていたのですけれど、

物凄く弱っているはずの貴美子母に、なんだか元気づけられた気がした。


こうつらつらと書くと。


あれだな!

もう家系が不死身なんだな!!!!


…とか思う、あw台無しw