http://ameblo.jp/reika-kun/entry-11355388005.html


今日、ワーカーさんやディサービスの皆さんに電話をして、

色々話を聞いて貰いながら、自分のココロがその時どうなっていたのか思い出しました。


同じように感じて、

それを罪だと思ってしまう方がもしいたら、って思って、

私が感じた事を書きたいと思います。


実母貴美子の介護はすでに10年を越え、

発症が50代だった為に、何が起きたのかわからないような状況でした。

発見時の実母は、自分が誰なのか、私が誰なのかもわからない、

汚物を食べ、時に現実に戻り、泣いて泣いて「私はどうしたの?」と訴えていました。

当時ワーカーからも見放され、なんとか自力で今の主治医の先生とめぐり合う事が出来ました。

そして「閉鎖隔離病棟」への入院。

「閉鎖隔離病棟」での光景は、今も私の脳裏に焼き付いて離れません。

母の顔をした「けもの」がそこにいる。

三大欲求を満たす為だけのさまざまな行為を見せつけられる度に、私はパニック状態になり、嘔吐し、

自分も躁鬱を発症しました。

自宅に引き取ってからは徘徊や漁り食いの繰り返し。入退院を繰り返していたのもこの頃です。

その時の自分の精神状態は壊滅的だったと思います。

幾度かの入退院を経て、また自宅に戻った時、貴美子この先「不死身伝説」と呼ばれる歴史?を作り始めます。

まさかの、復活。

私の事が理解できるようになり、自分の名前も生年月日も思い出すようになる。

お医者様が「一体なにが起こったのか?」とミラクルの太鼓判を押してくれてから、

症状は「ゆるやか」になり、決して治ることない「病気」というものの進行が、目に見えて遅くなります。


その均衡が破れたのが五年前。

貴美子は水中毒と黄紋筋融解症になり、意識混濁で倒れ救急搬送、そしてまた入院。

その年、「お正月をこせない」と言われた私は、貴美子を家で看取る覚悟をする事になります。

閉鎖隔離病棟での私が見た地獄。

もしまたそうなったら。

「人間の尊厳」ってなんだろう。

そんな事をずっと考えていました。


そしてまたここでミラクルを起こした貴美子。

お正月を越えられないどころか、そこから5年が経過し、「不死身伝説」を不動にさせます。


けれど心の中にあった、「あの地獄がまた来たら」。

あの地獄がまた来たら、今度は「施設」と言う選択をするしかない。

それ以外に道はない、そう覚悟をしていました。


そしてとうとう「その日」(だと思った日)を迎える事になります。

私は当日の日記に「見守り」と言う言葉を綴っています。

見守った時間、私が考えていた事。


母の髪を撫で、母の頬に触り、手を握り、

抱きしめてひとしきり泣いた後に。

「お母さん…」と呼びかけながら、私が呟いたコトバは。


「生きて欲しい」ではなくて、

「もう、いいよ…」でした。


けものになって、隔離病棟にまた入れる位なら。

私が思う「尊厳」って思うモノが、

もし、けものになったとしても、母の魂のレヴェルで、感じるモノがあったとしたら。

今、私の腕の中で、逝かせたい。

私たち家族の事が理解できて、色んな事があったけれど、「家族」の名前と顔がわかっている、

すこし「幸せ」を感じてくれているだろうと思う、私の勝手な思いの中で、

私ははっきりと、もう、いいよ…お母さん、と思いました。


罪なのかもしれないです。

でも私は、

同じ境遇で、同じ様に、誰かが思ったとしても、

それは罪ではないって、言うと思います。


幸いにも母は、

自分が想定した「けもの」になる訳でもなく、

またミラクルを更新してしまった…訳ですが。。

それは、私にとっては「限りなく嬉しい誤算」であり、

また、この先の事をいちから考え直さなくてはいけない局面でもあります。


「愛してる、麗花」

ICUで私に放ったコトバ。

「面倒見てくれるからだろーが!」と言ったら、

「うん!!!」と満面の笑みで言われましたが、


本当は涙を必死にこらえた位嬉しかった一言でした。

私はそんな事一度も言われた事が無かったから。


どうか、この記事が、

同じ局面に立った人に、ほんの少しでも、なにかを感じて頂けたら幸いです。


麗花。