過去の日記から。

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足元にコロコロ転がってきたボール。
ハンドボール。
相当アレていた私は。
そのボールを蹴った。
蹴ったボールを抱きしめて、走ってきた、そのクラブのキャプテン。
私は思いっきりヤンチャだったから。
私に文句を言う生徒なんかいなかった。
キャプテンは顔を赤らめながら。
「ボールに謝んなさいよ!」と言った。
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私は中高私立に通っていて、
ヤンチャなくせにバレー部だった。
バレーボールが大好きだった。
高校のバレー部は特に厳しくて、髪の毛切られたり、先輩のイジメも半端ではなかった。

いたって真面目に朝練に通い、夜遅くまで部活動。
「麗花先輩どうしたの?」と中学の後輩に言われるほど、外見も変えた。付き合ってる気の合う仲間は変わらなかったし、何より私がバレーボール大好きなのを知ってくれていた。

いわれのないイジメにも必死で耐えた。ヤンチャだったのが気に入らなかったらしい先輩はゴロゴロいた。でも耐えた。バレーボールがダイスキだったから。

とある日。とある先輩に。
「オマエの事可哀想だって思ってやってんだよ、親とか違うし私生児なんだろ?」
これで私はキレた。
俗に言う、ボコボコにするってやつだ。
私は「最後のクラブ活動になった日」に
「ボールを使って」そいつをボコボコにした。
全てのサーブを狙い撃ちし、それは絶対にラインインしないサーブで顔面直撃コース。
そいつはマネージャーだった。
マネージャーの席にボコボコ球が飛ぶわけだ。
優しい先輩もいた。「どうしたの?何があったの?」と言われた。先生も止めに入った。でも私は何も語らず、ひたすら逃げまくるそいつを狙った。最後に「ふざけんなよ!」とそいつを突き飛ばし、退部した。
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「ボールは蹴っちゃいけない」そんな事は知っていた。
でもアレていた。
ボールにムカついた。だから蹴った。
きっと
すごく
ビビッていたに違いないキャプテンは
それでも「ボールに謝んなさいよ!」と言った。
暫くキャプテンの顔を眺めていた。
赤らめて、怒ってて、ちょっと怖がってて、でも正義感一杯のハンドボールが大好きなオンナノコ。

その子が胸に抱きしめていたボールを受け取り、
「ごめんなさい」と私が言った。
「…あ、ありがとう」と彼女が言った。
出会いはあまりにも鮮やかな「泉」の完全試合だ。

そこから私と泉はマッハの速度で仲良くなった。
二人とも小田急線だったから、
泉のクラブ活動が終わるまで教室で待っていたり、ハンドボール部を手伝わされたりした。
それから泉の家へ行って遊んだり、
泉が私の家へ原チャリで来たり、
原チャリでニケツしてスッ転んだり、
泉は母子家庭で、
私はあまり居心地の良くない家族構成だったから、
普通の家庭環境ではない者同士だからこそわかる話も沢山した。
バレー部での出来事には猛烈に怒ってくれた。
でも「麗花がバレー部だったからボールに謝ってくれると思ったんだよ」と言った。
「…勇気あるよねぇ」と言ったら
「…ちょっとビビッたさ~」と。
時に大泣きし、
時に大笑いし、
そんな「今」を存分に楽しんだ。

泉はスポーツ万能だったから「推薦」で体育大学に進学を決めた。
大学に入ると忙しくなるから、
高校のうちに教習所通おうよ!と言い出したのは泉だ。
「一緒に免許とるぞ!!」と誓って、二人して教習所に通った。
アタシはグータラだから、講習で良く寝てしまい、
先生に見つかりそうになると、泉のヒジがボディに入る。
「うげ!」とか言うアタシの口まで押さえてくれた。
そして、高校を卒業。

卒業の時にみんなに書いてもらう「記念ノート」には、
「麗花とはサヨナラじゃないから、全然寂しくないね!早く免許とって車で遊ぼうね!麗花に会えてよかった。楽しい時も辛い時も一緒に居てくれてありがとう!おばあちゃんになっても仲良くしよーぜ!縁側でお茶のもうね!感謝感謝♪」と書かれていた。

そう。私たちは全然寂しくなかった。
今まで通り、これからも、そこにお互いがいるんだと思っていた。
スポーツマンだったからか、いつも腰が痛いと言っていた。
大学の合宿から帰ってきたから、すぐに泉に会いに行った。
泉は激痛に悶え苦しんでいた。
そして入院。

「腰」の手術。
その手術はあっけなく終わった。
腰にメスを入れ、開いた瞬間に、
「手遅れ」だとわかったからだ。
腰に広がっていたのは癌。
取り除けないほどの癌。
そして、何箇所かの転移。
骨髄種。骨髄の癌。それが飛び散っていたそうだ。

それから私は毎日病院に通った。
泉は「麗花先に免許取りに行きなよ」と言った。
私は「泉が退院したらまた一緒に通うからいいよ」と言った。
泉は「なんだよーそれー」とかいうから
私は「だって泉がいないと寝ちゃうからさー」と言った。
必死だった。
一緒に免許とろうって約束したよね?って。
おばあちゃんになったら縁側でお茶するんでしょ?って。

私は仮免までとった教習所の教材を全部捨てた。

徐々に動けなくなっていく。
髪が抜け落ちていく。
「誰にも会いたくない、麗花がきてくれればいい」と泉は言った。
「じゃぁ、会いたい人だけ連れて来るよ」と私は言った。
何人かの名前を泉は連ねた。

まだ18歳だった。
「19歳になりたいなぁ」とポツリと言った。
少しでも痛みを和らげる為に強力な薬を投与する。
深く眠る。でも起きればまた激痛が走る。
夢うつつな眠りの中で、
私の名前や、同じハンドボール部の子の名前を呼んだ。
時に走っていた。
「ナイスシュート!」と言って笑った。
そのうつつの中で、泉は19歳になった。

そして脳への転移。植物状態になった。
この時初めて、私は泉の前で泣きに泣いた。
繋いだ手がぴくっと動いた気がした。
「植物状態のままどれ位もつか、わからない」
医者の最終宣告だった。

二日後。
私は霊安室にいた。
従兄弟のお姉ちゃんが「麗花、お化粧してあげて」と言った。
震える手で、
化粧なんかしなかった泉に化粧をした。
「全然似あわねーよ、だから普段から化粧しろって言ってたのに!」と思いながら。
とてもとても安らかな顔だった。
「頑張ったね」と。
「頑張ったよ」と。
今にも言いそうな顔を私たちはしていた。

たった四ヶ月の闘病生活。
たった四ヶ月で泉は逝った。
一生免許は取らないと誓った。
事情を知らない友達に
「なんでアンタみたいのが免許とらないの?」と言われ、
「いーらーなーいーの!男の隣にのせてもらうからいーんだよ!」
と冗談で返した夜。

夢に泉が現れて
「あたし免許取ったよ!麗花も取りなよ!」と、
ブンブン車を乗り回していた。
私は怒って
「この大嘘付き!一緒にとろうって言ったじゃん!」と言った。
泉は微笑んで「とーりーなー!!!」と言って消えた。

泣きながら目覚めた、その足で。
私は教習所に行った。

あれから…あれから何年経ったんだろう。
19歳のままの泉が。
記憶の中に鮮明に蘇る。
「あたしばっか年食っちゃってさー」とアタシは呟く。

10月19日は泉の命日だ。
あの日の事が鮮明に蘇ることはなく、
今は鮮やかな想い出が、蘇る。
でも、ふと、思うんだ。
あなたが逝ってしまってから、
わたしは「本当はあなたが会うべきだった人」にも会ってるんじゃないかって。
だからあなたの分も、生かされてるんじゃないかって。


いつも心配ばかりかけてゴメンね。
何とか元気でやっているからね。
みんなも元気でやっているからね。
ママがそっちに逝ったんだね。
戒名に「泉」の字が刻まれていたよ。
私は泣いたけど少しだけ幸せな気持ちになったよ。
ママと泉が会えてよかったなぁって。
幸せでいて下さい。
あたしばっかり年食っちゃったけど。
あなたは永遠に私の親友です。

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10月19日。
毎年思い出す、切ない気持ち。
写真を見つめながら、少しだけ泣くのを許して貰おうと思います。
REIKA オフィシャルブログ 「れいちゃんの日記」