レイドウレイキの原初的経験 |  レイキと共に歩む青木文紀(レイドウレイキ主宰)

 レイキと共に歩む青木文紀(レイドウレイキ主宰)

東京都品川区大井町レイドウレイキ主宰、ヒューマン&トラスト研究所
レイキ専任でいよいよ32年目を迎える、レイキヒーリング施療とレイキヒーラー養成講座。信頼のレイキ療法、西洋レイキと伝統霊気の融合であるレイドウレイキの活動。

10月31日はハロウィンの日ですが、私にとってこの日は61歳で逝去した、わが父の39回忌の命日であります。

私がレイキの道に入って家族のお見送りにレイキヒーリングを受けてくれた大正生まれの父親です。

命日を迎えて、あの日の父親との病室のやり取りはレイドウレイキの根底にある貴重な経験となっています。

仏壇に飾られている遺影を見ながら、自分の白髪頭と照らし合わせて良く似てきたものだとお経を唱えました。

父親とあまり反りが合わなかった私が久しぶりに、私の誕生日を祝いに実家に招かれて訪ねたのは他界する10日前のことでした。久しぶりの最後の家族団らんのひと時でした。宴を終えてそれぞれの部屋に移動して寛いでいると父が突然倒れたと母の叫び声で起こされ、その症状を診れば脳梗塞の症状でした。

急ぎ救急車の要請その時の知りえるレイキヒーラーとしての医療処置をして救急の到着を待ちました。緊急で診察してくれる病院は深夜ですので、容易には見つかりません。やっと迎えてくれる病院に救急隊は向かってくれました。病院につくと夜勤で迎えてくれる側も態勢つくりに手間取り、看護師さん一人でストレッチャーから移動をしてくれました。その後駆けつけてくれた医師は到着して緊急手術でした、クモ膜下出血の疑いで対応していただきました。

長い時間の手術を終えてそれから集中病棟に移動、手術は終わっても頭蓋骨を切除して下血処置でチューブが繋がれている状態でした。父は病院が大嫌いな人で、いろいろと考えられる事前の病気検査は断ってきた人です。

それから数日後、集中治療を受けながら病室が変わったところから家族の面会が許されて、一週間は付きっ切りで看病ができるようになりました。会話がままならない容態で、家族は推測で身体を拭いたり、話しかけたりしたことを思い出します。頭に装着されているチューブを嫌がり抜こうとする父の手を抑えたりして術後の入院生活を見守りました。その時に父親の手を握りしめてヒーリングをしていたことが経験として印象に残ります。

術後はから全体は検査のためのチューブで繋がれているので直接の手当ヒーリングは出来ませんが、手とか脚とかなら何とか手を直接触れることも出来ます、全体としてはオーラヒーリングになります。

この数日の間で父親と魂レベルでの会話が出来たのは私の霊能力を開示する機会となったと感じます。

これまでの生育の中で親子として語り合える時間はありませんでした、父からの魂のメッセージを聴き、これまでのすれ違いを和解することが出来たのも貴重な経験でした。

入院して一週間の10月31日朝の検診が終わり、検査器具を取り換えるということでその準備をしていた時でした。しばらく時が経ったときに父の容体は急変し、体から黄金色の魂は抜けていく様を見せてくれたのです。

「身体は命の仮の宮」と言う教えを目の前で教えてくれたです、余りの急変に驚いたいた私がそこにはいました。

その時の情景を思い浮かべながら、霊界から見守ってくれている戒名 青岳文隆居士霊 昭和61年(1986年)10月31日命日を弔いました。合掌

   

追記*父親の魂との交流で仕事仕事の連日であった自分が一番やりたかったことは「四国八十八カ所のお遍路を巡りたかった」と私への願望を委ねられたのです。それが縁となって同行二人で数年かけて満願したことを魂は喜んでいました。

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