10月31日良き節目のひと時を迎えて |  レイキと共に歩む青木文紀(レイドウレイキ主宰)

 レイキと共に歩む青木文紀(レイドウレイキ主宰)

東京都品川区大井町レイドウレイキ主宰、ヒューマン&トラスト研究所
レイキ専任でいよいよ32年目を迎える、レイキヒーリング施療とレイキヒーラー養成講座。信頼のレイキ療法、西洋レイキと伝統霊気の融合であるレイドウレイキの活動。

10月31日の今朝も遠隔ヒーリングから一日は始まります。

10月のレイドウレイキ本部はお約束したすべての仕事が無事に終わりました。

今日は出勤前に一票を投じて参りました。

 

コロナの緊急事態宣言が解除されて一か月後となりハロウィンを迎えて町は活気が戻ってきました。

感染者の数も激減して社会生活は通常の生活へと希望の兆しに移行しているようです。

まだまだ予断は許されませんが、穏やかな日々を過ごせます様にコロナ感染から多くの命が救われます様に祈ります。

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話は変わりますが、私にとって今日という日は35年前に亡くなった父の祥月命日であります。

昭和61年(1986年)10月31日に62歳で他界した父のことを想い浮かべご供養する一日を迎えました。

昨日も第2段階の第3シンボルの活用法をご指導いたしましたが、時空間を越えて過去に戻り幼き日に父と過ごした日々を思い浮かべます。

戦地より戻った父親のがむしゃらに働いて実業家として歩む波乱万丈の人生に私は両親の長男として誕生しました。

私がこの世に生を受けた時の話はセミナーでもお話することがありますが、私の人生の第一歩はかなりハードな始まりでありました。

 

出産をまじかに控えた母が明け方に破水して「母の命と赤子の命どちらかを選択しなさい」と駆けつけてくれた産科の医師に言われるほどの大変な状態のなかでしたが10月14日の明け方に生命は救われて生まれたのです。

その時、母はあまりの痛さに父親の着物を袖を破くほどだったと後年聞いたことがあり、出産の時父は傍で見守っていてくれたことを知らされました。

 

「生かされている感謝」を第3段階の人生振り返りで昔は私の人生を語ることもありました。

いろいろな経由があって私はレイキ実践者となって一番最初のクライアントは父親であったストーリーです。

35年前と言えば私は37歳、父親と同じように仕事人間真っただ中でありました。

私の誕生日を祝ってくれたイベントの帰りに父が突然倒れ、救急搬送された病院でクモ膜下失血と診断され緊急のオペとなり、それから一週間は言葉を交わすこともなく手と手を繋ぎ合いながら心の交流をするかけがえのない貴重な経験を積むことが出来ました。

 

10月31日入院して1週間の朝でした、父親を眩しい光で包まれて身体から魂が抜けでていく光景をみせてくれたのがお別れの瞬間でした。

このような体験をして私は自分の今世でなすべきことかを教えられる始まりとなったのです。

 

臼井先生と同じ年代で天界に還った父親の眠るお寺は遠方にあり一年に一回行けるかどうかという場所にあります。

時代は変わり平均寿命も延びて、幼少の頃病弱だった私も父の他界した年代を10年超えることが出来ました。

この様な観点から10月神無月は生と死という大きな時空間を見極めるひと月となっています。

ご先祖の供養が出来ることも生かされているものの一つの務めです。

私の10月の締めはそのような日であり、明日から11月と変わる良き心の節目になっております。

 

11月も元気にご縁ある皆さんと出会えることを楽しみにレイキの道を邁進いたします。

 

いつもありがとうございます。

 

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