慈悲深き観音のような母親 |  レイキと共に歩む青木文紀(レイドウレイキ主宰)

 レイキと共に歩む青木文紀(レイドウレイキ主宰)

東京都品川区大井町レイドウレイキ主宰、ヒューマン&トラスト研究所
レイキ専任でいよいよ32年目を迎える、レイキヒーリング施療とレイキヒーラー養成講座。信頼のレイキ療法、西洋レイキと伝統霊気の融合であるレイドウレイキの活動。

世の中に おもひやれども 子を恋ふる 思いにまさる 思いなきかな 「紀貫之・土佐日記より」

9月の生命の言葉です。世の中には 様々な思いがあるけれど、わが子を恋しく思う気持ちに 勝るものはないと解説されています。

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仕事に取り組む真っ直ぐな姿は父親から学び、慈悲・慈愛の心は母親から私は学びました。

昨日から今は亡き両親の事を走馬灯のように思い出している自分がいます。

長男として親の期待には応えることが出来なかったことごとが思い浮かんできますが、どんなに厳しい環境でも母親はいつも笑顔で見守ってくれた存在でした。

母親の家事や内職の手伝いをしては喜んでくれた母、その当時は着せ替え人形の部品をミシンで縫い、その端を切り分けるのが私の勤めです。完成した注文分を玩具屋に持っていくと切り口の処理がダメだと付き返されたことがありました、あの時はせっかく納品した品ものを投げつけられて「何をするんですか」と検品の人に詰め寄ったことも(母が苦労して作ったものを)そんな気持ちが思い先だって、子供の言い分などは取り合ってもらえず結局はもう一度やり直しと夜遅くまで母に二度手間させてしまいました。

後で母は仕事先に謝りに行ったと聞きます

挙げればきりがない失敗の数々、いっぱい笑い・いっぱい泣いた人生は愛情いっぱいの母から学ぶことばかりです。どんな母だったのか、これから自分の人生を振り返る時には書き留めておこうと思います、ともかく自慢の母でした。

母は77歳で膵臓癌で他界しました。一度目の手術後は6人部屋での入院生活、お見舞いに行くとレイキヒーリングを受けて喜んでくれました。痛みが緩和されて温かい気持ちになるよと前向きな母の喜びの言葉、お隣にいる患者さんにも「してあげなさい」とお許しがあればどこにいてもお世話をしたがる気のいい母親でした。二度目の手術の後見舞いに行くと個室に居た母は私を見て「お父さん」とせん妄で呼びかけてきました。

親が子を思ってくれる心は有り難い、子は親にどれほどの恩返しが出ているでしょうか。

時にはその期待に十分には答えることが出来なかったことを悔やみますが、病棟で母は「人のお役に立てる仕事を見つけて良かった」と言ってくれました。1999年「ヒーリング・ザ・レイキ」出版パーティーにも出席してくれた母はレイキの道に生きる私を励ましてくれたことを忘れません。

母からいただいた遺言のような一言は「一筋に打ち込みなさい、そこに道はひらける」という言葉でした。その言葉を胸に私は愚直にレイキ道をただ一筋に邁進しているのだと思います。

それから二人をお見送りしたことが縁となって四国八十八か所の遍路を供養の旅が始まったのです。