昨日の第三段階の研修が影響してか、彼岸明けの朝の瞑想で久しぶりに両親の顔が浮かんできました。
たらちねの親の心は誰もみな 年ふるまゝにおもい知るらむ(親心)明治天皇御製
私の父は臼井先生と同じ62歳でこの世を去りました、10月31日突然の別れはハロウィンの朝でした。
突然の出来事でした母の私を呼ぶ声で両親の寝室に入ると、そこに脳梗塞で倒れている父の姿、突然の出来事で困惑しましたが緊急事態で出来る処置をして救急搬送されて一週間の闘病でした。
その一週間を私は最期の別れまで付っきりで家族として介護をヒーラーとしてレイキヒーリングその間に手を取り合いながら心の通信で語り合う貴重な体験をしました。
幼少の頃から病気がちだった私を支えるのは大変だったと思います、最愛の母と出会い私は長男として難産の末に生まれました、それからの生育のストーリーを書き出すと長々となりますので、これで終わりますが、瞑想に出て来た父は実業で成功してころの姿ではなく、油まみれの作業服を着たなかなかハンサムな若き日の姿でした。
母は77歳ですい臓がんで他界しました、11月17日の明け方のことでした。
父が戦地から戻ってきたことで結ばれ東京で生活が始まりました、和歌を嗜みその当日のことを書き記していまして、戦後にどのような思いで生活していたか書き残されたノートが母の形見となりました。
病気がちの私の事を気遣ってご苦労も多かったことでしょう。
そのような環境でありながらもいつもニコニコした笑顔で家族に光を照らしてくれました。
その笑顔のままで瞑想に顔を見せてくれたのでしょう。
私は今では孫のいる時代に心身ともに健康に生きることが出来ています、何時も見守っていただき感謝します。
第三段階に臨まれたAさんは幸いにしてご両親が健在です「年老いていくお二人に何か自分で出来ることはないか」と考えてレイドウレイキを選び学んでいます。