今日は母の祥月命日です、朝のお勤めに供養をして一日が始まりました。
病に伏して入院していて当時、6人部屋を訪ねてレイキ療法を施すと喜んでいた当時の姿を追憶します。
施術が終わると同部屋の皆さんに「皆さんもせがれの手当て受けてみてください」と声をかけてくれました。
あんたは小さいころから病弱の子で病院巡りが毎日の日課でしたよ、そのたびに痛い治療に耐え切れず何度も逃げていたと大笑い、床屋にいっても白衣を着た叔父さんがカミソリを磨く姿を見て途中で帰ってきたこと覚えてますかと母は昔話をよくしてくれました。
3年生から6年生まで健康を害した私は沼津の養護学校で寄宿生活をしていました。
親元を離れて生活していたこと、父は仕事に専念して実業家として活躍していたため面会日には行くことができなかったこと、寂しい思いをさせましたねと母はいつもこころにとめてくれていました。
大きくなったら先生か坊さんになるって「突然母に宣言したことがあったようです」それもこれも懐かしく思い出しながら入院生活をしていました。
その当時はヒューマン&トラスト研究所の仕事を終えると見舞いに行く生活がしばらく続きました。
母の宣伝でレイキ療法を受けていただいた皆さんが「あんたの手は温かいね」と笑顔で言われることを母は大変喜んでいました。
人に喜んでいただけることができるようになることは大変ですが、遣り甲斐がありますねと微笑んでいた母の顔が思い浮かびます。
母は私に「ただ一筋に光求めて」という遺言のように残してくれた言葉があり、その一言がレイドウレイキの大きな種となり私のレイキに対するゆるぎないこころの支えとなっています。
21年のレイキの道に専念できるのも観音様のような母に励まされてできているのでしょう。
遠くで見守ってくれている母に心より感謝を捧げます。
母の眠る墓所にはなかなか参拝することができませんが、山の中腹にある先祖代々の墓の周りには自然界からのヤマユリが献花がされています。