62歳364日を迎えて |  レイキと共に歩む青木文紀(レイドウレイキ主宰)

 レイキと共に歩む青木文紀(レイドウレイキ主宰)

東京都品川区大井町レイドウレイキ主宰、ヒューマン&トラスト研究所
レイキ専任でいよいよ32年目を迎える、レイキヒーリング施療とレイキヒーラー養成講座。信頼のレイキ療法、西洋レイキと伝統霊気の融合であるレイドウレイキの活動。

私にとって62歳という人生時間はとても意義のあるものを感じています。


ヒーラー養成コースに59歳になる方を研修にお迎えして、人生の大きな岐路を学びました。


私もその同じ年代のとき、いよいよ還暦を迎えるのかと、人生の哀歓というか老いを受け止め如何に与えられた人生を意義あるものとして生きていくのだろうかと思案していたことを思い出します。


人生一回りして原点に戻り、還暦を迎えていくとはいうものの何だか寂しいような感じでいました。


ましてや霊気の祖臼井甕男先生や高弟の林忠次郎先生、そしてわが父が同じ62歳の人生を終えるという不思議な縁があり、レイキの道に生きる私自身はその年代に入るという緊張感がどこかにあったと思います。


死に向けて心の準備は幼少のころ10歳で沼津の養護施設で隔離生活を初めて時に、同じ年代の友が突然亡くなっていく中で、次は自分だと覚悟を決めたことがありました。

12歳までの3年間はいつも死と隣り合わせでしたが守護神の御蔭でしょうか生きることが許され、富士山の良く見える寮から東京に戻ることができました。

私の家から今も富士山が見えて崇敬なる姿に手を合わせる日々を過ごしています。


私のヒーリングライフはここで起きた出来事がすべての始まりだったと追憶します。


人並みの学生生活を終えて社会人となり、立身出世しようと競争社会で自分磨きをかけて生きる人生を謳歌して、器量以上の仕事に明け暮れ無理が無理を呼び、結局体調を崩して大病になる、何が大切なのかをその時に魂の声が聴こえてきた。

分かっているのに健康をないがしろにして来た人生の経験者です。


以来、自分が自分らしく歓びのある人生を全うしよとヒーリングの必要性を唱え、ヒューマン&トラスト研究所を1990年に発足して各地で講演などをして、1994年にその中で自らの命を救済してくれたレイキの道を伝え源泉とした責任ある立場をとりレイドウレイキと命名して19年、命の大切さと生き様の大切さを伝えて癒しの道に全人生を捧げています。


これまでの実業の世界でいう勝負の世界から誰もが勝者と癒しの世界では伝え続けています。


私はこれまでの講演を主体とした活動からレイドウレイキを通して一人一人を大切にするをモットーにして施療家としてもレイキ専門の療術師として難易度の高いクライアントさんをお迎えしてその効果を分かち合ってきました。

当事者とその家族が喜んでくれるレイキヒーリングをレイドウレイキは伝承しています。


レイキグランドマスターは皆そのようにしてレイキ療法を通してクライアントの心身に貢献してきたのです、私も微力ながらその道を選択してレイキ道を愚直に生きています。


ただ一筋に光求めてと私の母は病弱で手を焼かした私にただ一言の遺言を残しました。


59歳の青年が60歳を迎える時どのような思いであったか私も振り返りました、そして私は62歳というレイキの道において諸先生が経験された人生を歩んで、明日63歳の時を迎えます。


これまで以上にレイキの道を究めて生きていくことを自分と約束しています、一日一日一人一人を大切に宇宙のご縁あるかたにレイキの素晴らしさを御手渡しして参りましょう。


62歳364日を迎えて静かに自分自身を振り返ってみました。