坂東33観音参り第一番大蔵山 杉本寺で発願したのが平成21年5月3日、あれから3年の年月が流れて行ます。
晴天の昨日は交通の便がきわめて悪い第26番南明山 清瀧寺と第22番妙福山 佐竹寺の二寺に遍路して参りました。
私の観音行はレイドウレイキメンバーの皆様のお幸せとクライアントさんの平癒回復そして世界人類の平和を祈願しての礼拝です。
この二寺は坂東33観音の巡拝でどうしても遍路の順で交通の便が悪いことも一因して後回しになっていました、昨日も前回の日輪寺と同様にレンタカーでの訪問です、二寺巡りなのに1日で約100キロ走行したことが後で分かりました。
清瀧寺は住職がいない寺です、ご朱印は町内の高齢者でその任を務めているそうで、地元の人々が復興し観音様を守る寺として有名です。
筑波山の中腹に25番寺大御堂があり、26番寺清瀧寺は筑波山東南部の竜が峰のふもとに位置しています、前回大御堂に参拝したとき「清瀧寺は先に参拝したのか」と住職に問われましたがその時は筑波山頂上を目指して登山も計画していたので参拝することはできませんでした。2度の火災にあった清瀧寺は昭和52年に再建された観音堂のある静かな山間にある古刹でした。
清瀧寺を参拝して筑波山のふもとから常陸太田にある第22番佐竹寺まで高速を使い一走り、海岸沿いの日立と内陸の常陸がある同じ呼び名のひたちの国常陸太田までは50キロ以上あります。
佐竹寺は北向観音がおいでになる本堂の中は寒々しく感じます、この寺は平安時代後期から佐竹氏が400年に渡り太田城を築き城下町として繁栄していましたが、関ヶ原の合戦で徳川側につかなかったことで秋田への国替えを命じられ、以来太田は徳川家の水戸藩領となったという経緯があります。
山門入口では降り注ぐ光を浴びながら仁王像に見守られて参拝して参りました。本殿を見上げると山号の扇額の上に五本骨、日の丸軍扇が掲げられています。兵どもが夢のあと、長い歴史が刻み込まれて侘びたたたずまいのお寺でありました。お寺のご朱印は高齢の御祖母さんが達筆で記してくださいました。大きな猫達が寺をのんびりと散歩しています、小川先生はその堂々とした猫ぶりに驚いていました。
佐竹寺を終えて坂東33観音霊場めぐりは32寺の巡拝となります、ここまで達成するのに3年の年月がかかりました、自らの浄化そして多くの関わる皆様の祈願も兼ねての遍路旅、坂東はあと一寺で結願・満願となります。生涯の目標として掲げた百観音巡礼の旅もなんとか見えてきました、まだまだ先の長い西国観音巡りは時間がかかりますが33番谷汲山 華厳寺は岐阜、必ず達成を実現しようと新たに決意します。
レンタカーを返す水戸までの道すがらに日本三大名園の偕楽園があるのですから、梅祭りが終わり庭園に桜が満開となる美しい庭園を散策してみました。広大な敷地に圧倒されながら見事な桜の花に暫し水戸の春を楽しんで参りました。
偕楽園