安心立命の境地に到達するには |  レイキと共に歩む青木文紀(レイドウレイキ主宰)

 レイキと共に歩む青木文紀(レイドウレイキ主宰)

東京都品川区大井町レイドウレイキ主宰、ヒューマン&トラスト研究所
レイキ専任でいよいよ32年目を迎える、レイキヒーリング施療とレイキヒーラー養成講座。信頼のレイキ療法、西洋レイキと伝統霊気の融合であるレイドウレイキの活動。

雨が降り続く朝を迎えました、いつも通りの朝の写経と発霊法継続して瞑想の一日が始まります。
静寂な雨音は瞑想をさらに深く導入してくれて無我の境地が経験できます。
昨日は臼井先生の墓参りしたせいでしょうか、瞑想の始まりから臼井先生の波動に包まれている、そのように感じていました。

墓所に行きますと私は先生にお願いすることがありません「○○お願いします」と願うより自らの行動を報告して、内なる声に従い誓願する習慣が付きました。
よくレイキは願望成就の役割が語られますが、はたしてそれでどれほどの願いが叶うのでしょうか、願い事を起こしても自分がそれを受け入れる状態になる努力は出来ているのでしょうか?
安心立命の境地とはなんでも天にお任せではありません!!
いついかなるときにも心が落ち着いて、利害に心が惑わされない境地だとすれば、自らなすべきことはなしてこそ到達するを跨いでは獲得することが出来ません。
「安心」それは心配がないことです、心配の種が山ほど内側にあることに気づき癒し開放して行く行程は必然として求められます。
私もその心配の渦の中でもがき苦しんだ時代がありました、そこから学びは下から表出して来てその課題と取り組み執着を手放すのには時間がかかります、いまだって「ない」と云うには躊躇います。
先人からは「下から癒せよ」大きな課題を学びました、それを迎えいれる器量がなければただ恐れるばかりでした。
「立命」とは天から与えられた自らの課題に取り組むことでもあります、なすべきことはなし究極は天命に身をまかす覚悟を得て、心が動ずる事のないあり方を得て初めて見出される光の世界の扉を開けるためには生死や利害に惑わされない超然とした境地を迎えることができるのです、それは安心決定の境地とも言います。

揺るぎある私たちの人生で都合のよいことだけが自分に起こるとは限りません。
むしろ今に自分におこっている事実を見極め、本来の自分を取り戻す過程に取り組む必要に早く気付くべきなのではないでしょうか。
レイキはその道先を照らしてくれる神々しい光そのものなのです。