今日は名古屋金山で活躍している「休息の杜」服部美津代マスターを迎えレイドウレイキマスターコースが開催されました。
いよいよ服部マスターの元でもレイキマスターコースの開催が出来るようになりました、休息の杜のメンバーの皆さんお待たせいたしました。
服部マスターはレイキを始めて4年の年月を経ての本日の指導でしたので、ご指導させていただいた私も感無量であります。
ここまで歩まれた道は決して平坦ではありませんでした、むしろ山あり谷あり艱難辛苦いろいろな試練を乗り越えてよくお越しいただけました。
今日のレイキの研修はおおよそ第一段階から始まり第四段階すなわちマスターコースでその学びは終わるシステムに大勢がなっているようです。
簡単にして速成でレイキマスターになる事も出来ると聞く現代です。
その中においてマスター受講の許可を得るための期間が設定されていて、なおかつマスターコースがさらに細分化して存在する教室はそれほど多くはありません。
レイドウレイキは霊気の先達からの指導にもとずきマスターコースは師範格・師範・大師範の指導者には三階層があります(使用している名称は違いますが)、古来から霊気指導はそれぞれの実績と経験を踏まえて指導者が存在していました。
初伝から奥伝に進むにも「その道熱心にして成績顕著なるもの」のみに伝えたと学びましたが、いまでは考えられません。
そして、いつの間にか先に述べた、西洋レイキの4ステップが霊気の全体的に指導されるシステムとして進み各あるレイキスクールはそれに追随してきました。
きっとそのようなシステムの教室が大半だと考えて間違いありません。
誰でも出来るレイキのあり方からすれば本来はそれで良いのでしょう。
マスターコースがそんなに多くあるなどとは多くのレイキスクールでは誰も考えないし、そのようなコース設定は賛否両論だとも思います。
コースが複雑とか経費が掛かりすぎるとか不満のむきもあるでようです。
しかし、レイキヒーリングを提供する立場としてはマニアルのみに従う指導では語る事の出来ない領域があるのも事実なのです。
レイキマスターとはいかなる存在を意味するのでしょうか?
アチュウーメントが出来れば誰でもなれる存在なのでしょうか?
理論・理屈のみが先行して、経験もないマスターは何を語り、何を伝えていこうとするのでしょうか?
レイキは実に奥深いものであり、レイドウレイキは経験のある指導者の育成が必要であると考えております。
表現の自由の中でレイキは普及が進み喜ばしい限りです、レイドウレイキはその喜びを感じながらも縁あつてマスターの道を目指す指導者育成にも全力で取り組むレイキスクールであり続けようと思います。
最近、レイキとは「芸術」だとある臼井レイドウレイキマスターが自身のHPで見て、その言葉に私も共感しました。
失礼後で確認したとところ、ヒーリングが芸術でした、レイキは伴侶とありました訂正しておきます。
そのようなことを感じながら、今日は一人の偉大なマスターの誕生をお祝いします「おめでとう」どうぞ光り輝く存在となってください。
そして、楽しい仲間とこころ通じ合える光の輪を広げて行きましょう。