今年の桜はゆっくり咲いてくれたおかげで堪能することが出来ました、時は流れて散り際も風に吹かれて桜吹雪で楽しませてくれます、最後の最後まで使命を全うした観があります。
窓を開けて桜の花びらが舞い込んで来てその花びら一輪を見て自然は偉大だなと感じます。
こんな風情を楽しめるのにも原因と条件の組み合わせでものごとがおこるんです。
仏道の師はよく「種と花」を例えて「縁起の道理」の話しをされます。
どんなに立派な種があっても、その環境次第では花として咲かない、では立派な土地があれば咲くのかも咲くとは限らない。
地には水分が必要、養分が必要、それがあったとしても咲くかもしれないし、咲かないかもしれない。
全ての条件が揃ったとしても花が咲くかどうかは分からない。
必要な条件が全ていれば咲くだろうか、それでも咲くかどうかは分からない。
そう考えたら大自然の中で一輪の花が咲くことは凄い事だと思はないか?
大自然の一員である私達だって目的を持ち何かを起こしたとしても、それが予定通りに全て行くとは限らないことがあります。
その間にどんな条件があったのだろう、あってはいけない条件はなかっただろうか
そんな考えをしてみると、私達一人一人が「生きている事だってそうかもしれない!」一日生きていられることは何と凄い事なんだろう、大自然に感謝せずにはいられない。
それでも当たり前なんだ考えが心に湧いてくる時、明日どうなるのだろうと心配したり不安になったりもします。
明日どうなっているかは決まっていません、それなら今日一日を精一杯生きてみたいものです。
人間は死を迎えるまで生かされています、勝手に生きているのではないのです。
自分自身で苦を生み出さないように全力で今日を活き活きと生きてみよう。
窓に舞い込む一輪の桜の花びらから学びます。
生老病死と言う苦の中で精一杯精進する、これがレイキの道なのです。