レイキを伝えるマスターの存在 |  レイキと共に歩む青木文紀(レイドウレイキ主宰)

 レイキと共に歩む青木文紀(レイドウレイキ主宰)

東京都品川区大井町レイドウレイキ主宰、ヒューマン&トラスト研究所
レイキ専任でいよいよ32年目を迎える、レイキヒーリング施療とレイキヒーラー養成講座。信頼のレイキ療法、西洋レイキと伝統霊気の融合であるレイドウレイキの活動。

私がレイドウレイキを通して伝える事は日常生活と精神世界の両輪の大切さです。
今日のレイキの普及は大変嬉しいことです。
しかし、喜んでばかりにはいられないのがレイキの世界に見え隠れしているように思われます。
臼井先生の功績の中で、レイキを宗教にしなかったこととレイキ療法で家庭内療法として安全で誰もが治療が出来るようにされた事があげられます。
とは言いながらも、臼井先生はしっかりとした心の支えになる宗教背景がうかがえます、強い礎があるからこそ揺るがない自信があったのでしょう。
もっとも人の難事とする癒しや治療を誰にでも可能とした事は素晴らしい事です。
ですから、実践することにより家庭内の調和は生まれ絆も深まるのではないでしょうか。
そして人としての慈悲慈愛の基本的なこころのあり方や人とのかかわりの中に反映されて人格の形成にも大きく影響を与えているのです、このような考えがレイドウレイキの基本理念であります。
だからこそ関わる生徒さんが段階を問わず各自が成長して、レイキへの確信と真心が芽生えていずれはマスターとなり、自立して自律の道を歩み活躍されることを願って観続ける役割があるわけです。

15年レイキと共に生きつづけて、心うちで葛藤するのは安全・安心・簡単で学び安直に肩書きだけもちレイキマスターとなって活動している方が如何に多いかということでしょう。
レイキに対する価値観の違い・ヒーリングの一技法・いろいろ考えてしまいます。
そして個性化が広まり、混沌としているようです。
破壊ー創作ー維持!これも一つの時代の流れなのでしょうか?
一日で全段階を指導する教室が出来たり、シンボルを公に現すマスターが現れたり、いろいろでまさしく混交玉石の観が強まりました。
確か10年前にも、シンボルを公開したマスターがいたと思います!!!
海外のレイキ本などは堂々と公表して、自分が一番のレイキマスターだとアピール
している人もいますので、驚く事ではないのです。
ただし、その人たちだって何方からレイキの伝授か指導を受けているはずです。
伝授した師範あるいはマスターはどんな思いで、レイキの指導されたのでしょう。

このようなレイキ提供者の姿を拝見するたびに、反面教師として時おり自分自身を振り返ることがあります。
他教室の問題だけではなく、我々も「そのように指導しているでは」ないかと?自問することです。
レイキマスターとは如何なる存在なのでしょう?
レイキの真理を探究すれば、言動の変容や人としての自己変革も育成されると言われます。
普及の名をかりて、拡大する事ばかりに気をとられていないだろうか?
私どもは絶えず自教室の教授した生徒の足元も照らしいるだろうか?
仮にマスターの起こした不祥事や問題発生はそのマスターを育成した指導者の問題でもあります。

レイドウレイキグループは問題の発生があると必ず本部にその連絡が入ります。
ありがたいことです、そのマスターを思うからこそ情報をくださるのでしょう。
その人はマスターを支援し応援してくださっているのです。
だからこそ、その方の成長を願い苦言を本部にくださったのでしょう。
当事者のマスターと事実の確認をして、問題解決に向けて情報提供いただいた方と話し合い、その問題からの学びを是正して対処していくようにしていくことが出来ます。
一つ一つの問題は実は今日のレイキ普及のあり方にも大きく抵触していることを知らされます。
一人ひとりを知ることが出来るグループだから出来る事なのかもしれません。
レイキのマスターになればどの段階でも指導できる日本の多くのレイキシステム
は人格の育成にどれ位対応することが出来ているのでしょうか?
伝授教授しっぱなしではいけない、分かりながらも、求めに応じて指導し、その後の関わりが持てない、いや持たない、教室はどんどん生まれています。
ネズミ算のごとく膨れていくレイキ人口、わたしもその中でレイキを提供する一人の存在として、癒されたヒーラーを育成して、レイキを大切に分ち合わなければと痛切に感じています。
それと共に卒業したマスターの不祥事をまったく関知しないではいられない時代に既にいると自覚しなければなりません。

マスターの不祥事はその指導を疎かにした私の問題でもあります。
レイキに対する信頼度は提供する指導者、そしてその教室を反映するものと心しなければなりません。
レイキの社会認知が高まれば?まるほど、倫理観や社会常識を問われることが必然の時代にあると言うことです。

レイキの探求が、こころを平安にして平和な日々を心身共に健康でいき生きることを目的にするならば、教室として受講される生徒さんに対する人格育成にも責任を持たなければならないでしょう。
無責任ではいられない、指導の難しさを感じております。

釈迦の生誕した記念すべき日に悩めるこころに光をあてましょう。
比丘たちよ、一人の人のこの世にいづるは、大いなる眼、大いなる明かり、大いなる光の現わるるなり。その一人の人とはたれぞ。如来、応供、正等覚なり。
これこその一人の人なり。