1978(昭和53)年7月17日(月)

PM10:00  フジ 夜のヒットスタジオ

新聞にマコの名前がある、もうそれだけでうれしくなってしまうんです。

だって最高に素敵でしょ!森昌子と言う活字。

 

はじめは、世良公則が「夕笛の丘を歌ってくれてマコを紹介してくださり、マコは野村真樹の「一度だけなら」を歌ったのです。

私が見えるのは、マーちゃんだけ!!

ゆえにマコが歌い終わってしまうと、もうどうでもよくなってしまうのが難点。

 

「津和野ひとり」って、それほど余韻を残すような歌じゃないけど、歌のテクニックが素晴らしいので、ほんのわずかの振りや目の伏せ方などで歌詞を感情たっぷりに歌い上げてる感じがしたよ。

まさに歌手のお手本のような人です。

衣装は、ピンクと白のワンピースでした。

 

 

 

 

(注:当時18歳だった私が書いた文章をほぼそのまま書き起こしてます)

 

 

 

 

昨夜は、ブログ記事を書き終わり写真でもと思った時に、実家の母から体調不良でものすごく息苦しくて血圧も高いと連絡が入った。

一人暮らしゆえに、どうしようもないから即救急車のお世話に。

 

でも、病院でいろんな検査をしても異常が無く、点滴を1本したら落ち着いたので、夜中に我が家に連れて帰ってきました。

 

そんな母を今日のお昼に道の駅に「ゆず塩ら~めん」を食べに連れて行った。

普通に食べられるし、歩けるのだから大丈夫!

たぶん、過労といつものパニック障害の発作だと思われます。

(実はこれがもう何度もある)

 

まずはホッとしたけど、しばらく我が家に居させます。

 

 

ゆず塩ら~めんはこんなのよ

 

 

 

 

21~22歳頃の昌子ちゃん。

水戸黄門でうっかり八兵衛を演じてた高橋元太郎さんとのラジオ番組の公開放送でした。