謹賀新年 | HIBINO ZAREGOTO

謹賀新年

明けましておめでとう御座います。

今年は、正月休みのうちから忘れずに御挨拶が出来ました。
めでたし、めでたし。



と、いう訳にはいかないかもしれません。

毎年、多くの方々の幸福と健康を祈るようにしています。

けれど、紛争、戦争、天災、事故…、など。

たくさんの不幸と、隣り合わせの暮らしだと思えています。

 

食事だって物価と抱き合わせだし、物価は輸出入と抱き合わせ。
ここ数年は、感染症から生活苦を強いられる人も多かった。

 

それでも、自宅待機からホームオフィスの有用性を見出せた事は良かった。

しかし今回の戦争、紛争などから長所を見出す事は可能でしょうか?

ミャンマーの内紛とかチベット、ウクライナ、香港、イスラエル、台湾、北方領土の問題を鑑みると、人は非道い生物だと思う。

 

けれど、それが争う人達にとっての【善】のなすり合いだ。

自分こそ善であるという強固な主張が、歴史上の争いの根だ。

我々は、それを対岸の火事として見る観客だ。
その主張の鎮火はどうしたらいいのか、判っても主張しない。

 

黒澤明の7人の侍という映画は、そのモノ言わぬ民衆が一番強いと締め括っている。
これは、僕にとって戒めと思える条項だった。

けれど、その民衆が束になっても叶わないのが狂った軍隊や天変地異だ。

 

理性的な国家と誠実な国民が、地球を占めている訳ではない。

むしろ歴史は、それを迫害して締め出す事を繰り返している。

それを、繰り返して欲しくない。

今、本当にそう思う。

 

平和への架け橋を架ける事の出来る、政治、文化、良識、民意を保持できないのだろうか?

その一助となる者でありたい。

多くの方々が、知らずして忍び寄る権威が自由を奪おうとしていると知っているかもしれない。

とはいえ対抗手段が、明確化せず困惑している。

 

人を信じ、人を愛する事を、自由に行えるには、文化は弊害があると思える。

自由民主主義は、貨幣経済を伴って弊害のカーテンで視界を曇らす。

拝金主義が、心に毒を齎してゆく。

お金も、人も、もっと素直に愛さなければいけないとか、そういう事を思う正月です。

 

皆様にとって、素敵な年になりますように、心から願っております。