○○○御挨拶○○○
さて皆さま、当サイトは戯言ブログでございます。
人生、戯言のひとつも言わなきゃネ!
場合によっては、大ボケな事も言うかもですが、
全部戯言、一場春夢が如し。
人生、儚くとも夢豊麗な舞台には、
時計仕掛けな舞の砂城に戯れ合う稚児の、愛の姿。
そんなreicomの戯言に、バーチャルネットでもレス戴いてる皆さまに、
まずは感謝御礼致したいと思います。
当ブログにお越し戴き、
誠に有難う御座います!
今さらですが『国宝』観てきました
え~~っと、『国宝』って公開されたのは6月6日だそうで。
もう11月ですな。
随分ヒットしましたね。
やっと観てきました。
三時間の長尺映画ですが、長いとは思わなかった。
エピソードの連なりをフラッシュバックで見せる。
職人的で、時間を忘れます。
少年が、歌舞伎界で人間国宝に至るまでの映画。
ピンポイントに人生エピソードが連なります。
ヤクザに復讐しようとする少年の銃声が、
結果を得ずして、数年後の部屋子入門の場面に変わります。
緊張感が持続しているのに、結果は知らされず、
観客は歌舞伎の舞台裏へ誘導されます。
場面転換が、本当に巧いと思った。

そういうのを、三時間も見せられる。
少し、万華鏡を見せられた気分でした。
実は、主題的には、弱いと思った。
主人公が、歌舞伎に魅せられていく前半。
その為に、費やされる中盤。
国宝となった、終盤…のザックリした分け方では、
終幕のオチが弱かった気がしました。
主題の厚みを伝える為には、三時間は必要だったのでしょう。
回想して、一人の男の執念…と言えば言えます。
でも、一つ思った事があります。
今は、映画を観終わった後で、観客は回想して感想を抱くような時代ではない。
面白かったか否か…が、判断基準です。
総合芸術を、インスタントラーメンのように味わいたいんです。
でも、一つの人生は軽い解釈の主題ではない。
国宝という映画は、厚みのある解釈を要求します。
国宝が、自己と向き合う処に主題が秘められているからです。
『JUNK WORLD』、観てきました。
『ジャンク・ワールド』を観てきました。
本作は、堀貴秀監督の『ジャンク・ヘッド』の続編です。
前作は2021年に観て、その感想を記事にしています。
当時は、設備屋やってる職人さんが7年かけて映画創ったのが驚異でした。
それも、公開後ハリウッドからオファー受けたらしい。
で、そのオファーを蹴って自分の作品世界を創ると公言したのが今作です。
それは是非、観なければ!と、意気込んで行ってきました。
作品世界はより深化していて、前作の1042年前の出来事です。
でも、エピソードが込み入っていて、悪役の特定を消去法で洗い出してます。
これは三部作で、次回作がこの作品世界の終局だそう。
実は、タイムリープ(スリップ)を繰り返すお話についていくのが大変でした。
ロビンのトリスを想う気持ちが主軸になっているとはいえ、
タイムリープする度にSF設定が刷新されて、
感情移入が置き去りになってしまう。
この印象…、ブレードランナーに似てます。
前作の子ロビンに感情移入して、それを見たかった人には大変だと思う。
SF設定は俯瞰の視点ですが、キャラへの感情移入は対等の要素です。
この要素の切り換えをしながら、観なきゃならない。
字幕版をレイトショーで観たせいか、眠くて辛かった。
作品世界の、特有のグロさが面白くって、最後まで観ました。
吹替版を観たら、もっと作品に没入出来たのだろうか?
え~っと、記念というか、イラストカードとステッカーを配ってました。
パートナーと行ったので、二枚ゲット。

『侍スリッパー』もタイムスリップを使った作品ですが、
設定がシンプルで、落ち着けるんです。
この作品は、落ち着かない背徳感があった。
ジャンクなので、背徳的な印象なんですかね?
なんだかんだ言っても、三作目…観に行きそうなんですけどね。
何年先でしょうか?
『どうすればよかったか?』を観てきました
もう5月ですが、この映画、昨年の12月から上映してるんですね。
ミニシアター系の映画としては、上出来です。
姉の統合失調症を、弟の映画監督が三十余年に渡って撮り続けたドキュメンタリーです。
そもそも、統合失調症を主題にする映画自体が無いと思います。
それが、フィクションではなくて事実を撮り溜めたノンフィクション。
家族を被写体にした、ビデオカメラで撮り溜めたホームムービーです。
それだけで価値の高いフィルムです。
よく、こんな映画が公開できたなぁ…と、思います。
映画のラストで、このフィルムを他の人に見せても良いか?と、父親に尋ねる監督の映像があります。
映画の主人公である姉は他界しているし、母親も亡くなっています。
許可を得る必要がある家族は、父親だけです。
父親は、あっさり「いいよ」と言います。
この映画で観客のど肝を抜くのは、姉の深夜の絶叫です。
脈絡のない発言も、異常を感じます。
姉の介護をしながら、認知症になっていく母の発言もです。
姉は家出同然にアメリカに出掛けます。
失調症でも、パスポートは取得したんですね。
更に、占いの本の出版までしています。
論文も書きます。
工作も、料理もします。
姉、知能は高いんです。
統合失調症特有の発言は、内容を理性で捉えるには難しい。
けれど脈絡は、なんとなくある。
その脈絡を許容しつつ、姉の意思とその幸福を繋ぐモノは何か?
断片化する主題を追いながら、観客は問われます。
この映画は、ハッピーエンドではない。
けれど、家族や個人の幸福を、考えさせられる映画です。
なるほど、ロングランする訳です。
この問い掛けに、私なりに考えてみました。
あくまで、個人の集まった集合体が家族なんだと。
社会の為に、個人や家族がある訳じゃないと。
愛する家族の健やかな姿を、一番知ってて欲しいのも家族なんだと。
…まぁ、そんなモノ置き去りになっているのも、現代の側面です。
その、現代という巨大な坩堝に、
健やかさという武器で挑みたいものです。
では、では。

