HIBINO ZAREGOTO

○○○御挨拶○○○




さて皆さま、当サイトは戯言ブログでございます。


人生、戯言のひとつも言わなきゃネ!

場合によっては、大ボケな事も言うかもですが、

全部戯言、一場春夢が如し。



人生、儚くとも夢豊麗な舞台には、

時計仕掛けな舞の砂城に戯れ合う稚児の、愛の姿。


そんなreicomの戯言に、バーチャルネットでもレス戴いてる皆さまに、

まずは感謝御礼致したいと思います。





当ブログにお越し戴き、

誠に有難う御座います!

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夢とやらについて

毎日、暑いですね。
皆さまの体調は如何でしょうか?

一月ほど前、職場の先輩が脳溢血で、仕事中に救急搬送されました。
70代前半の方で、朝は元気でした。
昼近くになってロレツが回らなくなり、突如老け込んだそうです。
喋れなくなり、他のスタッフの介助を得て搬送されました。
倒れた訳ではないのです。
 

歳を喰うと、身体にエラーが生じるのは致し方ない。
縄文時代の日本人の平均寿命は、14歳だったそう。
医術も衛生も、皆無だったのでしょう。
その当時と比すれば、我々なんて超人のような存在です。
縄文時代の人が、人生にどんな希望や夢を抱いていたのか…?
そんな事を思います。

さて、先の先輩は順調に回復しているとの事です。
この先輩、20代の頃は漫画家として活躍されておりました。
今も描き、不調が起きる数日前も「もっとデッカイ作品が描きたい!」と、
豪語していました。

90代の方が小説家や詩人としてデビューしたり、
60代で絵筆を初めて握った方が、個展を開いたり、
最近はそういう情報が、僕の周りでは数多く見られます。

どんな年齢であっても、願いを持ち、夢を持つなら、
それを心の真正面で受け止め、進んでいくのが
人としてのあるべき姿勢のように思えます。

と言うより、心という磁石は、
勝手に希望や夢を指してしまうモノだから、
それ以外の常識やら打算に従うのも

諦めた方が、きっといい。

衛生環境が悪くて14歳で亡くなろうが、

70,80で倒れようが、

周辺の粗雑な事を整理して、願いや夢に立ち向かうのが、

この人生やら命やらの、一番良い使い方のように、
今の私には思えてなりません。

 

うん、それも大変だと思うんですけどね。
ま、今日の戯言でした。

 

ちょっと、ボヤくよ!

先週、ついに梅雨が開けてしまった。
例年より短く、苦のない梅雨時期だった。
雨が多いと【うんざり】する梅雨だが、
短いと、ちょっと哀しい。
雨量も少なかったし。

異常気象も、叫ばれて久しい。
今年は、ラニーニャ現象だという。
猫の鳴き声かよ?!…って。

要するに、暑い暑い夏って事だそうで、
うちの会社では、もう二人ほど倒れている。

熱中症は、大の大人もマッチ棒みたいに倒れる。
三年くらい前に、眼前で倒れるのを見た。
身体が制御できないから、
ゾンビ映画みたいだ。


見たのは一人だけで、
沢山の人が、いっぺんに倒れるのを想像したら、
気色悪くなってしまった。


今日はボヤきたいんだ。
地球がもう、科学文明に付いていけてない。
原始的な処に、もっと戻れと、
母なる地球が、悲鳴を上げてるんだろ?

原始的でも、大切なものは
見える筈だろ?…と。

2024竹林001

エスパー伊東さん

何かに秀でている事で有名な方は、お近付きになりたいと少し思う。
だけど僕は、あまり芸能人にはお会いした事がない。

 

芸能人と会うとネタに出来るのが良い…などと思うんだよな。

そんな僕が出会った、数少ない芸能人の一人。

 

エスパー伊東さんが、亡くなってしまった。

 

その昔、超能力セミナーとかいう怪しげな異業種交流会に出た。

そこで、ハキハキした返事をする大先生の下っ端のような若者が居た。
超能力や潜在意識活用の講義を終えて、二次会に飲みに出かけた。
そこで、さっきの若者に見事なスプーン曲げを見せて頂いた。
 

それが、エスパー伊東さんだった。

もう覚えていないんだけど、少しだけ…ホンの少しだけお話した。
もう、三十年以上前の話。

 

その後、彼も売れ始め「電波少年」やら「メチャいけ」やらDVD出したりとか…。
 

不思議なモノで、僕にとってのエスパー伊東さんは常に、ハキハキした若者の印象だった。
この三十年余、テレビで見掛けても、ず~~~~っとそうなんだよね。

 

不思議なもので、感謝の気持ちしか出てこないよ。
ご冥福をお祈りします。
ありがとうございました。

謹賀新年

明けましておめでとう御座います。

今年は、正月休みのうちから忘れずに御挨拶が出来ました。
めでたし、めでたし。



と、いう訳にはいかないかもしれません。

毎年、多くの方々の幸福と健康を祈るようにしています。

けれど、紛争、戦争、天災、事故…、など。

たくさんの不幸と、隣り合わせの暮らしだと思えています。

 

食事だって物価と抱き合わせだし、物価は輸出入と抱き合わせ。
ここ数年は、感染症から生活苦を強いられる人も多かった。

 

それでも、自宅待機からホームオフィスの有用性を見出せた事は良かった。

しかし今回の戦争、紛争などから長所を見出す事は可能でしょうか?

ミャンマーの内紛とかチベット、ウクライナ、香港、イスラエル、台湾、北方領土の問題を鑑みると、人は非道い生物だと思う。

 

けれど、それが争う人達にとっての【善】のなすり合いだ。

自分こそ善であるという強固な主張が、歴史上の争いの根だ。

我々は、それを対岸の火事として見る観客だ。
その主張の鎮火はどうしたらいいのか、判っても主張しない。

 

黒澤明の7人の侍という映画は、そのモノ言わぬ民衆が一番強いと締め括っている。
これは、僕にとって戒めと思える条項だった。

けれど、その民衆が束になっても叶わないのが狂った軍隊や天変地異だ。

 

理性的な国家と誠実な国民が、地球を占めている訳ではない。

むしろ歴史は、それを迫害して締め出す事を繰り返している。

それを、繰り返して欲しくない。

今、本当にそう思う。

 

平和への架け橋を架ける事の出来る、政治、文化、良識、民意を保持できないのだろうか?

その一助となる者でありたい。

多くの方々が、知らずして忍び寄る権威が自由を奪おうとしていると知っているかもしれない。

とはいえ対抗手段が、明確化せず困惑している。

 

人を信じ、人を愛する事を、自由に行えるには、文化は弊害があると思える。

自由民主主義は、貨幣経済を伴って弊害のカーテンで視界を曇らす。

拝金主義が、心に毒を齎してゆく。

お金も、人も、もっと素直に愛さなければいけないとか、そういう事を思う正月です。

 

皆様にとって、素敵な年になりますように、心から願っております。

『夜と霧』と『嫌われる勇気』

最近、一気に二冊の本を読んだんです。

嫌われる勇気』と、『夜と霧』です。

 

 

二冊とも、ここ三年位ずっと読みたかった本です。

 

嫌われる勇気』は、アドラー心理学を会話形式にして解り易くした本。
このアドラー博士はユダヤ人で、フロイトという有名な心理学者に師事しています。

ここ数年、ベストセラーを続けていますね。

 

夜と霧』は、ヒトラーのユダヤ人連行作戦に、ナチス党が付けた呼称だそうです。

著者のヴィクトール・フランクルもフロイト、アドラーに師事した心理学者で、ユダヤ人です。

連行され、アウシュビィッツや幾つかの収容所をたらい回しにされ、生還しました。

 

嫌われる勇気』を読んで思ったのは、フロイトは無意識や過去のトラウマに焦点を当てて心理学を展開したけれど、

アドラーは未来や貢献的な自我に焦点を当てている点。

これが、人を幸福へ引っ張っていく原動力として表現されていると感じました。

 

偶然だけれど、その価値観からアウシュビッツに収監されたフランクルの『夜と霧』を読んだ格好になりました。

私はこの二人が、見知った人だったとは知りませんでした。

強制収容所でアドラー心理学を実践した格好になっているように思います。

 

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私はアウシュビッツに収容された経験は無いけど、がんセンターに一年半入院した事があります。

入院も収容に似てるな…と、思えました。

入院患者同士で、普通の人たちを「娑婆の人達」と呼んでましたね。

収容所のユダヤ人達も、似たような想いで外を見ていたような記述があります。

ここからの脱出は叶わず、死して消える事しか途はありません。

がんセンターも似ていて、同病棟の入院患者はほぼ、冷たくなって退院しました。

私は珍しいケースで、体温を保ったまま退院出来ました。

 

普通は、希望を失うんです。

被収容者も入院患者も、だいたい失うようです。

けれどアドラー心理学は、希望と勇気を基軸にしています。

 

著者のフランクルは、小さな紙片に客観的に収容所生活を速記する事で、希望を繋いだ。

不満を言えば暴行され、感情は麻痺する。

碌な食料も寝具も無い。

ガス室や死体遺棄所は、死んだような人さえ処理してくれる。

なので、微かでも希望を繋ぐ事は大事だと、この本は言ってるようです。

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生還者の事を、サバイバーと呼ぶのだそうです。

先日、がん撲滅の集会に行きましたが、癌から生還した人の事を【がんサバイバー】と言います。

私も、がんサバイバーです。

しかし、がんサバイバーの問題は、生還を素直に喜べない事です。

 

それは、生還された強制収容所の被収容者達にも起こりました。

フランクルの家族は、餓死やガス室で没し、自宅に戻っても居なかった。

そして周囲の人達との、温度差。

 

同情されても、虚しくて気力は湧かない。

身柄を開放されても、その内面は解けません。

それがサバイバー(生還者)の問題です。

 

自我が時間と共に連続するなら、トラウマを負った人は希望を持てません。

アドラーの自我は、時間に連続しておらず、点として存在すると言います。

点だから今しか存在できず、過去と未来は関係ない。

本当に生きれるのは、今だけ!という論理です。

 

この二冊を、ほぼ同時に読めたのは偶然です。

けれど、非常に意義のある事だったのです。

 

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