わたしたちが怒っているときは、
怖れている時です。



「自分こそが神」
、という思い上がりのもとに作り上げた自分が
完璧な神になりきれずに、
怖がっている小さな自分を認められずに敗北感から怒りの声をあげているのです。



日常のほんの小さなこと、
例えば
「シャツのたたみ方はこうしたほうがいいわ」
「トマトはこう切った方がいい」
と、洗濯物やトマトに正義が持ち込まれるのです。




自分が神でいるために、
自分のやり方、ものの見方、判断が正しくなければならないのです。


ほんとうは、自分に自信がないから、失うのが怖くてたまらないから、威張っているなどと、
どうしても認められないのです。


だから、
あたかも正当化しているように
自分が正しいと声をあげ続けなければならないのです。


自我(エゴ)の、
「悪いのは自分ではなく、相手。自分が悪いわけがない」
という声にコントロールされているのです。



自我は、
自分が弱くて、怖がっている。
ということを、
どうしても認めたくないし、認められません。


なぜなら、それを認めてしまったら、自分がなくなってしまうと信じ込んでいるからです。


ただ、わたしたちは正当化して怒りの攻撃を辞めないと、いずれ罪悪感、無力感、欠落感を抱えているのが辛くなり、苦しく、疲れ果ててしまいます。


誰でもない自分が、自分に刃を向けて犠牲者、被害者に作り上げているのです。




いつまでも、このまま犠牲者になって苦しんでいくのか、
それとも、ほんとうの自己の強さと優しさにつながり直したいのか。



怒りは、わたしたちにリセットの機会を与えてくれます。


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