なぞぺーのような問題は解き方を教えちゃうとつまらない。

なんつーかアハ体験みたいなもんだよね。

まぁ、勉強なんてすべてアハ体験みたいなもんだけどね。

もう本人が気づいてくれるのをひたすら待つしかない。

ネスカフェゴールドブレンドじゃないけど「違いのわかる」人間になるしかないのだ。

なぞぺーやっててわからない本人も、わかってて教えない私もすごくイライラするしモヤモヤするよね。

でも画期的な方法があった。

それは「シンクシンク」をやることだったという話。


いやー正直、抵抗あった。

できれば紙面のドリルで済ませたかった。

つまり、なぞぺーのことね。

スマホを触らせるのってやっぱり抵抗があるんだよね。

目が悪くなるんじゃないか?とか、

他のゲームやりたくなるんじゃないか?とか、

中毒性があるんじゃないか?とか

なにより携帯電話だって生まれたときには無かった世代なので、、、スマホの手軽さはもう「不自然なもの」そのものなのね。

子どもと対極にある存在だよね。


でもね、コロナ自粛があったりしてYAMAHA教室は動画でレッスンや練習をするシステムになった。

ピアノの弾き方やドレミの歌い方の動画と

練習するためのアプリ(うまく弾けたらモンスターを倒せるゲーム)を導入して

こりゃもう完全に「スマホありき」のレッスンになっていて、、、。

ああ、もう時代なんだな。

私のスマホに対する警戒感は時代遅れなんだな。

ちゃんと道具として向き合わなきゃいけないんだな。

ってストンと納得した。


で、娘にシンクシンクお試しを見せたら楽しそうに遊んでる。(有料決定したゲロー)

シンクシンクは使用回数が決まっていて、今のところ娘も納得してちゃんと回数が来たらやめる。

紙面の白黒の図よりもゲームになった動画はやっぱり分かりやすいようで、なぞぺーのような問題文を読むより直感的に問題の意図をくめるのね。

だからどんどん面白そうに解いてる。

自己流の回答はなくなった。

そう、「違いのわかる娘」になった今、この迷路やら立体パズルやらがものすごく面白いらしい。

でもシンクシンクは使用制限があってできない。

そこで暇さえあれば寝っ転がって夢中で読んでるのが「マンガでわかる10才までに」シリーズだ。

 

 

 

 

この2冊をなんどもくり返し読んでる。

(ちなみにメルカリで購入した時譲っていただいた方ににシンクシンクを教えてもらった。あんまりいいので2冊目はメルカリブックスで購入した)

マンガでわかるなんてかいてあるけど、マンガは面白ストーリーで全くヒントにもならないんだよね。

でもゆるーい絵が癒されるのね。

娘はゆるーい絵が好きなんだよね。

子供心をくすぐるシールもあるしね。

分厚いんだけど紙質が外国のペーパーバックみたいなやつなので本自体が軽い。

つまり、子どもでも寝っ転がったりどんな姿勢でも読みやすい。

で、あんまり何度も読んで飽きてしまってせがまれたのが同じシリーズ。

 

 

マンガでわかる10才までにシリーズの「算数脳ずけい」、、、購入しました。

やけくそになって「プログラミング」のシリーズ本まで購入してしまった!!

(メルカリブックスは発送が遅いのでアマゾンで購入した)

 

 

だって、きっとまた同じようなの欲しいとか言うんでしょう?

今日ポチったので明日届く。


これらの本はなぞぺーよりも手軽さがいいんだよね。

鉛筆持たなくていいし、寝っ転がって楽しめるところ。

こたつやソファーで大活躍してる本だ。


それもこれもシンクシンクを触って「わかった」からなのね。

つまり順番としては、、、シンクシンク(アハ体験)→なぞぺー(できた!)→マンガでわかる10才までにシリーズ(夢中)がベストなのだ!

スッと頭が切り替わるためには、この順番がマストなのだ!


難易度的には幼稚園年中のような気がする。

きっとすぐ飽きると思うけど、、、迷路やパズルにハマった体験、夢中になる経験は「なんかメンドクサそうだから挑戦するよやめよう」思考から「なんだろう?面白そう!やってみたい!」に変わる気がする。


やっぱりスマホは避けて通れなくなってるのかもしれないよね。

表現方法がが多すぎる時代になって、しかもそれらがとても優秀な表現法だったりして、戸惑うばかりなんだけどね。

一つ一つ分かろうとすることが大切なんだろうね。

闇雲に避けるのはもったいないし、避けて通れなくなってきているんだよね。