同調すること、しないこと | REIKO (El Umbral)

REIKO (El Umbral)

フラメンコ舞踊家であり、身体感性に纏わる色々を教育機関にて教鞭をとる。
郷土愛あいまって、宮島観光大使をつとめる。

広島育ちの広島じゃけん。



  今日は、仕事無し。 被災活動も休止なので 家に居る。
すると 色んな事を思い返し 自身で納得して感情のどこかに 落とし込んだり、感情ぶり返したりと ソファーに座っていても 心は何かと忙しい。

いつも 作業しているとき その場に居る人達と同調する自分と 同調しないように心掛けている自分が居る。 

同調する良さは、作業の呼吸を合わせられること。

同調しないようにするのは、皆の気配が 一定になり 感情とか心の個を脇に置く事を避けたいから。

社会と言いながら「世間」と言うバインドがあるニッポン。
ボランティアセンターとか組織化されてくると 良さもあるけれど 連動していくなかで だんだん 「個」の気配が薄まっていく。ボランティアセンターの方が 「おはようございます!今日のボランティアの方達です」と 被災された家主さんへ挨拶される。
声に立場が出来ると 不思議な作用がある。そこへ、境目がうまれる。
被災された方も その流れにのっとり礼儀正しく 必要な事のみ話されて あとは作業へと移る。

この境目が出来た輪の中で作業をしていたら 作業の手順をボランティアセンターの人や家主に確認するのみで  〈輪〉を跨いで 家主の方に心へ向けての話しかけをする人。
ほぼ。居ない。
淡々と粛々と作業は進む。

なので 私は休憩時間のとき 家主の方の側へ行き 間合いをよみながら 話しかけるようにしている。
すると、やはり 皆さん。話したいのだ。そしてこの理解し難い混沌を語りたいのだ。

物事が成長し組織化していくことを悪く言うているのではないけれど 見落としてはならない ここだからこそ!感じとらなくてはならないこと。大いにある!
昨日は 歌のコンサートで 歌の響音に身を委ね まわりの観客とも同調出来るような 空間が ひたすら幸せだった。

 同調することと、しないこと。
五感をふるわせて過ごしていきたい。