家族の幸せリフォームアドバイザー

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お客様の幸せを追い求めるリフォームアドバイザーを目指し、
ご家族みんなと打ち合せ、その答えを共に考える。

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新聞や雑誌、インターネットで見つけてきた


ちょっとほっこり、ちょっと感動、ちょっとなるほど・・・などなど


毎月1日に発信していきます。


と言うわけで・・・今月のちょっといい話。



「今、目の前のこと」


帝国ホテルの料理長を26年間勤務、


重役になった村上信夫さんという方がおられます。


厨房から初めて帝国ホテルの重役になった唯一の人です。




十代のときに帝国ホテルの厨房に入ってからの3年間


仕事は鍋磨きだけだったと言います。


一切料理に触れることが許されませんでした。


何人もの少年が入っても1年以内に


ほとんどの人が辞めてしまったと言います。


その中で村上さんだけは辞めなかった。


「日本一の鍋磨きになろう」


そう決心し、3年間鍋を磨くことだけに専念してきました。


さらに、洗い場に回ってくる鍋には料理が残っていても


ソースの味が判らないように


洗剤などが入れられた状態で来るのが


当たり前だったそうです。


それでも全部キレイに磨き続けた。


自分の顔が映るくらいに磨いたと言います。


そうしてさらに数ヶ月経った頃


「今日の鍋磨きは誰だ?」


と先輩が聞くようになったそうです。


「今日はムラ(中村さんの愛称)です。」


と言う答えが返ってくると、


そのときだけは洗剤が入っていない状態で


鍋が洗い場に回ってくるようになったのです。


村上さんはそれを舐めて隠し味を勉強し


一流の料理人になったと言うことです。






いかがでしたでしょうか。



社会人になられた方々へエールをこめて今月のちょっといい話でした。



今日はバレンタインデーですね。


毎月1日に紹介しているちょっといい話


今回は番外編・・・。





   ゴディバ


ベルギーの名門チョコレートメーカーのゴディバは


馬に乗った裸婦の絵がシンボルマークになっています。


この女性が社名にもなっている「ゴディバ婦人」なのですが、


実は彼女、イギリスでは伝説の女性だそうです。


11世紀、イギリスのコヴェントリーに住む人々は


領主による圧政に苦しんでいました。


彼の妻であったゴディバは住民たちのことを想い、


何度も夫を諫め、心を入れ替えて欲しいと願います。


しかし、彼は受け入れてくれません。


それどころか彼女に無理難題を突きつけます。


「裸で馬に乗り町を巡回すれば


お前の意見を聞き入れよう」


これなら妻も黙るだろうと考えました。


彼女は思い悩みます。


しかし、領民たちを救えるのならばと


「当日は外出せず、窓を閉めてください」


と言う布告をして、


本当に馬に乗って裸で町中を練り歩いたのです。


領民たちもゴディバの自己犠牲の心に打たれ


彼女の言うとおり戸や窓を閉め、


家の中に引きこもりました。


その為、彼女の裸を見たものはいなかったそうです。


領主であるレオフリックはゴディバとの約束を守り


圧政を改めたと言われています。




ちょっといい話番外編、いかがでしたか。


バレンタインデーに


人を想うと心がとてもいい日につながって欲しいと願う


ちょっといい話でした。




新聞や雑誌、インターネットで見つけてきた


ちょっとほっこり、ちょっと感動、ちょっとなるほど・・・などなど


毎月1日に発信していきます。


と言うわけで・・・今月のちょっといい話。




「ストックホルム オリンピック」


1912年のストックホルムオリンピックは、


日本の選手が初めて参加した大会だそうです。


まだ、28ヵ国の参加という大きさです。


日本からは陸上競技から2人だけの参加。


そのうちの1人、金栗四三は前年の予選会で


世界記録を27分も縮める大記録を出し期待されていました。


しかし彼は、レース途中32キロのところで


意識を失って倒れ、近くの農家で介抱され、


目が覚めたのは競技もすでに終わった次の日の朝だった。





そんな彼を弁護する要素はたくさんあった。


日本から約20日をかけ、船と列車を乗り継いで現地へ。


マラソン当日には金栗さんを迎えに来るはずの車が来ない。


彼は競技場まで約40キロの道のりを


走らなければならなかった。


さらに当日、40度という記録的な猛暑で


参加者68人中、約半分が途中棄権。


うち1人は亡くなっているそうです。





彼はその後、日本のマラソン界の発展のために尽力。


耐熱トレーニング、高地トレーニング、女子体育の発展


箱根駅伝の企画など現在のマラソン界に大きな影響と


あらゆる試みが彼の発案でなされたと言います。


ゆえに「日本マラソン界の父」と呼ばれている。





時は流れて1967年。


スウェーデンのオリンピック委員会から


ストックホルムオリンピック55周年を記念する


式典に招待を受けました。


彼は当時、レース中意識を失ったため、


棄権の意志がオリンピック委員会に伝わっておらず、


「競技中に失踪し行方不明」


として扱われていたようです。


マラソンの終わりが、ゴールか棄権しかないとすれば、


彼はレース中と言うことになります。


当時の記録を調べていたオリンピック委員会がこれに気付き、


彼を記念式典でゴールさせることにしたのです。


彼は快くこれを引き受け、


競技場内に用意されたテープを切った。


記録は、54年8ヶ月6日5時間32分3秒で、


これは世界一遅いマラソン記録になりました。


彼はゴールの後のスピーチで


「長い道のりでした。この間に孫が5人できました。」


とコメントしている。


彼がゴールした瞬間、場内アナウンスで、


「これをもってストックホルムオリンピックの


   全競技を終了しました。」との宣言をしました。






いかがでしたか。


もうすぐソチオリンピックが始まりますね。


また、たくさんの感動と共に


寝不足の日々が続きそうです。