わたしには、名前の 妙 のような
不思議な意味が人生にあるような…
そんな氣がしている。深ーくのときね。
そんな出来事が最近つくづく多い。
皆さまの名前にも、きっと使命が入っている
そう思う。
当たり前のように出来るものほど
そこの部分は、才能や仕事だとは思っていない。
集中料理講座をすると、決まって
あることがおこる。
*注: 集中してないじゃないか…というツッコミはあえて無視。。自由学校でもいいかな
これは、酒粕と生姜と蜂蜜ですね。
ここまで、1日半
市販のラベルほとんど見てない。
豊かな時間でしたねー✨
皆さま、ふいに背中の重い荷物を降ろしていかれます。
わたし自身、たまたま
夕焼け見ながら話したり…とか。
たまたま、ワイン飲みながら、みたいな不意な展開から。
重い荷物を荷解き、皆さま軽くなってお帰りになられるのであります。
これは、どうも1人や2人じゃなく、ほとんどの方がそうなるということは。
もう、そろそろ観念しても
いいのではないかなあ…とふと思うのです。
癒し 浄化 祓い 最後はパワーを入れて
締めに、1か月のアフターフォローの調味料を渡す。
ちなみに、相手が降ろすのを見て自分が気付くこともある。
逆のパターンでは、本人が荷解きしようとしておらず、わたし自身もそんな意図がない際に
偶然にもなるパターンもあり
わたしのタフさと
相手に荷物に気付いてさえもいない場合、本人が荷物を解きたがらずに縁が切れることもある。
それがまた荷物や傷になっていく…という。
これは、神戸のある方に言われたが、愛のある厳しさは、理解されないので仕方ない。
という言葉にかなり救われた。
逆にわからない方に、責められるということもかなりある。それを受け入れてない方に…
西野さんじゃないが、反逆児、革命家のさだめであろう。
アレ。¥1,456に、なってる。
細部にこだわるのに
こういうとこ似てるなーって思った。
多分、わたし気にしない。前提は伝えたい中身。
信じたらキツイものから目を背けたがり。
わたしも、キツイから目を背けようとして、、
朝の西野さんブログで目を覚ました。
諦めたら、そこで終わりだ!目が覚めた。
だから、どうでもいい炎上や、ミスや、喧嘩は
火種でですらある。燃料というか。
つまり、何でも糧にしてしまうこすさがある。
このこすさは、わたしの中では長年認めてるから、なんでもない。意地悪さも、鈍感力も何でもない。
さて、話は戻るが
内面の変化に向き合うのがキツければ、思い切って体から入るのも得策だ。
過去の実例からだそう。
沢山あり過ぎるから、ピンポイントで
根深い罪悪感を出した際。←自分で
体の歪みを治す 電気治療
と、出会い。体の歪みを治す。
身体から、毒素が数ヶ月に渡り出てきた。
好転反応が激しかった。
対処療法ではない、根治療法。
音楽も良かった。
クリスタルボウルや、和太鼓の演奏。
他には、今やってる、歯の治療。
抜かない、削らないドッグベスト。
布良 ふら シュンガイド 。
とにかく、布良に至っては、まだ二回使用なのに、好転反応で。
小さな反応、善人は騙されるとか。
出てきて、手放したら
パラレルワールド移動しました…
お金がなくなる恐怖感とかも、かなり出てきた。
わたしにとっては、罪悪感と密接だったらしい。
精神の病の人を引き寄せるオンパレードは、罪悪感と密接で。
お金がなくなる恐怖感と繋がっていた。
これは、ゆっくり糸をほぐすことにして、また後日書く。
わたしの学問は体感から腑に落ちる。
本気で、2018年は飛躍するつもりなので
根治します。
ヤマトタケルのメッセージを以前
受けていた際
彼の中に、その人本人の魂ではない表現を非常に嫌う性格がありましたが。
それに似た性質がわたしの中にはあります。
その人らしくない姿である場合に、非常に本来の姿を出させようと躍起になるところがあります。
妙子という字は、仏教用語の『妙』から来ています。
日々わたしの情熱は、料理で宇宙の色を表したりするのと同じくらい『真理』を求めています。
こちらの絵は、わたしなりの視点です。
その視点をなくしている際が、どんな辛い修行よりも、自分を失っていて苦しいのです。
目的や前提は、人によって違うから?
一緒と思うから苦しいのではないか?と
最近、思うようになりました。
まず、前提が違う。革命家だから真逆。
まあ、それはそうと…
わたしが好きな音楽というのが、だいたい深い悲しみからの、立ち上がっていく天界のメロディみたいなのが好きで
最近では、YOSHIKIさんの曲が好きです✨
『妙』の中にある、蘇生を意味しているのかな?と思ったりします。
そういう意味で、わたしの周りに重い病気の方や、薬や色々で悩まれる方が多くいらっしゃるのは偶然ではなく。
わたし自身が、そのような音楽を好むことからも、蘇生を好んでやっているような気もして来ました。
わたしの頭の中に、ほとばしる情熱が湧いて美しい音色が聞こえて来たのは過去に3回ほどあり
共通点がありました。
世の中の歪んだ見方に、美しい魂を穢された時、
亡くなられた方に対する世間の見方
出来事などに非常に憤ります。
どうにかなったはずだ!とか
どうにも自分の中の魂が泣く瞬間でもあります。
仏教用語では「妙」には三義あり
「円満の義」、「具足の義」、「蘇生の義」
うち円満の義
うち円満の義
真理の探求はある時点で終わるというものではなく永遠に探求し続けていかなければならないものであり。
そこが、学問における前提を疑う姿勢かもしれません。
必要となる創造性と真理を探求しようという姿勢の自己こそ究極の真理であると悟ること
その真理を永遠に求めていこうとする創造性に、一切の真理が具わったのと同じであると観ることが具足の義
真理を永遠に求めていこうとする姿勢に、すでに一切の真理が具わっているということが不思議であるために妙という。
また真理を永遠に求めるために必要な創造力を開く鍵が妙の一字である。
そのことを深く自覚することを妙覚という。
宗教一般でよく見られる「今の中に永遠をみる」という考えもこの具足の義
また妙の一字によって創造性を開き、無知を有知に転換し、苦悩を解決へと転換し、醜を美へ転換する生命の飛躍が蘇生の義である。
また無知を有知へと変える生命的創造が不思議であるということを深く自覚することが妙覚である。
まあ、全く出来てませんが…😂
またいままで治せなかった病を、新たに治せる医療を見つけ、作り上げる生命の飛躍と創造力が蘇生の義である。
あきらめない心と生命の可能性が不思議であるために妙という。
―真理を得ようとする努力は、真理を確実に手にしていることより尊い―(アルバート・アインシュタイン)
今日出来ることから、一歩一歩やっていく。
今を生きる
自分を生きる