おおつごもりのあらしのよるに【2010.12.31】 | 山本清風のリハビログ
 煙草を噛みながら机を抱えるようにして。陽の高かった時分からずっとこのようにして、くるぐる思案するのはとりとめのない、いますぐには実現不可能なあのこと、このこと。



 十年来のつくりかけた楽曲が重く回転数をつのらせる。右位相、電気六弦やまびこ効果消音にて反復。左位相、電気六弦歪み効果にてロ長調。第二楽章、左位相そのままに右位相ハモンドオルガン。主題、通奏低音を変更し長調から短調へそして躍動。明くる第一楽章セーニョ、ビーチボーイズしたるのち間奏し主題セーニョ長調、転調し短調、四つ打ち、くるぐる。



 総理大臣になったらばまずあれをし、これをし、あるいは富くじがあたったらばあれをし、超能力が開眼したらばこれをし、といますぐには実現不可能なことを思案してしまう背景には不可避に、現実逃避が横たわっているだろう。いま成すべきことがある、あるいはない。



 想像力が奔放に枝葉を伸ばすのは良いことであるけれども、悪いことでもある。自生思考のネガポジ反転で、人は死にすらする。生きていることを前提に語られる人間に於いて、それはつまり悪いことである。要するに私はひねもすくさくさしていたのである。



 と、ふいに机の面している眼前の窓硝子が波打った。おやこれは、と視線をあげると私の顔面をめがけて落陽と紅葉に血まみれた落葉がびしばしにぶちあたってきた。借銭してでも硝子を入れておいて好かった。片目に紅葉が貼りついてしまったら、何処からの使者かと疑われることだろう。それは地獄からの使者である。



 脳裏に霹靂一閃、デトロイトロックシティのリフレインが駆け抜けた。すると木々は早くもヘッドバンキングを始め、激しく葉を飛ばしている、血を吐いている。仰げばぜんぶ赤。山々の木々の輪郭の、それ以外をみちみちに埋めている鱗雲は大きな手負いの鯉を想わせて、茜色の鯉を追いたてるようにあれよという間どす黒い龍がすべりこんできて、周囲を闇に閉ざしてしまう。色彩を失った落葉がとぐろを巻いて、眼前の窓に乾燥機を想起してしまう。



 これはいけない、私はすぐさま鉱石ラジオを捻った。ジミヘンドリックス調の音声は屋外の風にさらされ、びばびばにちぎれ飛びそうだいまにも。いまにもを殊更強調する意味があったのかどうか、判断はともかくアドレナリンの分泌を伝えるためには有益であった倒置法。きれぎれのアナウンスは嵐、嵐、嵐を訴えている。



 ―――嵐!



 私は心持ち男前になり、五人分の男前になり、眼を輝かせぬるくなった玄米茶を嚥下した。茶碗を握る親指から血が噴きだしそうである。背中に息もたえだえのラジオからフリーターが家を買った旨を聴きつつどかすか台所へゆき、湯を沸かし、薬缶なみなみの玄米茶を拵えた。冷蔵庫に頭部を挿入した。床下に乾物を確認した。



 不味い、不味いぞ……ワ・ギャー!
 うっかり猫の尾を踏んでしまった。まことに申し訳ない、畳に額を擦りつけ謝罪するのであるが猫は心外そうにこちらをうかがっている。畳だったからか? 深い銀色の毛をした、ロシアの猫である。平素であれば濡れ縁付近で丸まっているというのに、どうしてこんなところに。



 縁側へゆくと理由はすぐ判然とした。板間は足裏が貼りつきそうなほど、ちんちんに冷えていたのである。冷えぴた。やばいよやばいよ、靴下履かないとやばいよ。重力に加わったより強い引力に耐えながら、私はごろごろに雨戸を閉めた。その一瞬窓を開け放っただけで室内はふかふかになってしまった。足裏に爆ぜる枯葉を感じながら、指定ごみ袋にそれらを回収して廻った。



 廊下のどん突き、暗がりに視線を移した。木製の引戸には札で固く封印がされている。手仕事のため過日より、妻君がお籠りしているのである。耳をそばだてるがなにしろ風が騒いで、室内の様子をうかがうことはできない。しかしいずれにせよ一度籠もったら完成するまでは開けない理(ことわり)になっているのだ。妻君の趣味は応援したいほうである。



 以前籠もった折りには見事な水の羽衣を完成させた。此度(こたび)はアダマンタイトを持ちこんでいるので、天然石ストラップでも拵えているに違いない。妻君の趣味には理解があるほうである。しかし手仕事というよりは手芸と呼ぶのだろうか、私はその方面にあまり明るくない。



 かくして籠城の手筈は整った。かくなるうえは兵糧の確保である。外套に袖を通すと意を決し、麓のコンビニエンスストアを目指すことにした。それにしても……ワ・ギャー! どうやらロシアの猫が私の右往左往について廻っていたらしい。人間のゆくところが温もるところと心得ているのだ、しかし私はこれからお外。残念。御免。板間が足裏に貼りつきそうなほど、ちんちんに冷えている。冷えぴた。



 靴下と襟巻と眼鏡を装着した、剣呑剣呑。靴裏越しにも三和土(たたき)が鈍重に冷えきっていることがわかる。しばし遠視していたが意を決し、思い切ってお外へと飛びだした。えぃや。



 麓へ至る車道はいつもであれば半身ほどしかない側道を、すれすれに大型車の往来する黄泉比良坂(よもつひらさか)である。しかし今日に至ってはすでにちりぢりと飛ばされてしまったのか、一匹の餓鬼すらおらず車道に私はひとり。同様、いつもであれば山の中腹より幾つもたち昇っている湯気も、鼻をくすぐる硫黄の香りでさえも、すでにちりぢりと吹き飛ばされてしまったかのよう、淋しい山だった。こういうとき山は淋しい。



 淋しさを埋めるようにしてせめてもと車道の真ん中を歩いていたが、坂を半分も降りぬうち、私はちくとも動けなくなってしまった。というのも、我が推進力と風力とが拮抗してしまったのである。先刻よりくりかえされるしまった、は偶然でも笑いごとでもない、私は心からしまったことになってしまったのであるから。しまったなあ。風はより強く冷たく我が推進力を押し返していたから、これはまるでそびえたつ氷壁に顔面をつきあわせているようなものだった。靴下も襟巻も眼鏡も装着物という装着物はすでにちぎれ飛び、もう鼻もげらは目前であった。こすためさ。



 しかし、だがしかし、私はゆかねばならない。芯から冷えていたはずの軸部分が使命という名の熱量をにわかに発し始めた。回転数をあげながら、声をあげながら、私は反芻した。だがしかし、私はゆかねばならない。山道を降り、町のほっとステーションへと転がりこみ、小一時間ほど読書せねばならない。放送禁止番組についての造詣を深めたるのち私は煙草を買い、二箱買い、薄揚げの芋とパックのオレンジジュースと単一の電池と猫のカリカリと靴下と、あとはおでんから懐の許す限り具材を取捨選択しなければならない、会計したるのち帰宅せんければならぬ。



 私の名前は清風、穏やかなる風のエレメントである。



 荒ぶる風を沈められるのは私しかいない。幸か不幸か額にバンダナは巻かれていなかったけれども、私はエックスジャパンの人に倣い「かかってこい」を声高に名のりあげた。「紅だあ」も絶叫調していたと思う。両足の親指に全身の力をこめ、前進を試みた。仁王だちになり気持ち目尻を垂らすと、遠い眼をし、握り拳を手刀にアタッチメントして上下左右にと激しく動かし始めた。往年の男前の妻君になったような気がした。猛然と猫のことが思いだされた。妻君のことが想起せられてきた。いまや枯葉を枝をその水として、真っ黒な濁流と化している嵐がうねりながら幾つも私に激突してきた。服がちぎれ唾(つばき)が弾け毛髪をエックスジャパンの人にさせただけでは飽きたらずに、木々をへし折り道々をひび割れさせ山々を彼方へと押しやらんとす嵐、嵐、嵐、だがしかし私は閉ざされた愛にむかい叫び続ける。局部だとか。視線の端、警察官が警棒に手をかけて歩み寄ってきたけれども私はなんらうしろゆびさされることはしていない。渡り廊下なども走っていない。