発明王・トーマス・アルバ・エジソン(Thomas Alva Edison)をご存知の方は多いと思いますが、彼の有名な言葉に“Genius is one percent inspiration and 99 percent perspiration”があります。この言葉を日本語に訳すときに実に様々な日本語訳が見られますが、多くの日本語訳は非キリスト教文明である日本文化を色濃く反映しているように思われます。もっとも、総人口に占めるキリスト教人口の割合に「1%の壁」があり、現在、総人口に占めるキリスト教人口の割合が統計上約0.8%である日本では当然のことかもしれません。
ところで、この言葉の一番一般的な日本語訳は、「天才とは、1パーセントのひらめきと99%の努力である」又は「天才とは、1パーセントのひらめきと99%の汗である」等です。“Inspiration”を「ひらめき」と訳すのにはそれほど違和感がありませんが、“perspiration”を「汗」と訳すと英和辞典上の意味のかなり無理な当てはめで不自然な日本語訳になるように思われます。
例えば、「巨人の星」というスポ根野球マンガにもこの言葉が引用されている部分があって、ストーリー上は天才的強打者という設定の花形満という主人公・星飛雄馬のライバルが重傷を負っても魔球・大リーグボール1号を打倒する特訓を必死に行う姿を見て、彼を見守る彼の父親の工場の工員たちは、「天才とは、1%の素質と99%の努力である」とつぶやく場面があります。しかしながら、これは自らの努力で自分の道をすべて切り開く、人間の努力がすべてを占める世界での発想に基づいた訳出で、そこにはエジソンがキリスト教文明世界で生まれ活動していた人間であるという前提は全く考慮されていません。日本人がこの言葉を解釈する場合には、“one percent inspiration”よりも“99 percent perspiration”に強調が置かれ重視されます。すなわち、「1%のひらめき」よりも「99%の努力」が数字通り99倍も重要だという解釈です。
けだし、エジソンは、不可知論者と言われていますが、プロテスタントの一派である組合協会(the Congregational Church)に属していました。この“Genius is one percent inspiration and 99 percent perspiration”という言葉は、エジソンが、1929年2月、エジソンの82歳の誕生日に語ったものですが、エジソンの強調は、“99 percent perspiration”よりも“one percent inspiration”に置かれていたと解釈されます。すなわち、天才たる人間の役割は、「天が1%の霊感によって与えた使命を99%の努力をもって実行することにある」の趣旨です。ですから、この視点からすれば、「人間による99%の努力」は「天が1%の霊感によって与えた使命」を前提にしており、「天が1%の霊感によって与えた使命」がなければ、「人間による99%の努力」は全く無意味となる訳です。結局、“Genius is one percent inspiration and 99 percent perspiration”にキリスト教文化的背景を加味して日本語訳すると、「天才とは、天が与えた1%の霊感と(使命を受けた人間の)99%の努力(の結果)である」が適切な訳であると思われます。これはノーブレス・オブリージュ(noblesse oblige)の発想に通じるところがあります。ノーブレス・オブリージュ(noblesse oblige)とは、財産、権力及び社会的地位の保持には社会的責任が伴うことを意味しますが、これは「多くを与えられた者には多くが求められ、多くを任された者には多くが要求される」(ルカ12章48節)という聖書の言葉に由来します。日本国憲法第12条後段の「又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ」という一文は、ノーブレス・オブリージュ(noblesse oblige)的発想に由来すると考えられます。
慶応義塾大学の学祖である福沢諭吉の「学問のすゝめ」に「天ハ人ノ上ニ人ヲ造ラズ人ノ下ニ人ヲ造ラズト云ヘリ」という有名な一節がありますが、これは福沢諭吉のオリジナルな考えではなくアメリカ独立宣言からの引用です(オリジナルはバージニア権利章典にあります)。ここで「云ヘリ」というのは「言われている」の意味であり、欧米諸国で言われていることを福沢諭吉が日本に紹介したということになります。勿論、バージニア権利章典の発想もオリジナルなものではなくキリスト教精神に基づいたものです。この点は、福沢諭吉も理解していたようです。ちなみに、日本国憲法第13条前段の「すべて国民は、個人として尊重される」もバージニア権利章典及びアメリカ独立宣言に由来すると理解されます。
やや方向性は変わりますが、007シリーズの中に「007は二度死ぬ」というショーン・コネリーがジェームス・ボンド役を演ずる映画があります。英語のタイトルは「You only live twice」なのですが、これを「007は二度死ぬ」という日本語タイトルに訳出しています。ところで、英語の直訳は「あなただけが二度生きる」なのですが、これも非キリスト教文化の日本人には理解され難いので日本人向きにアレンジされた日本語タイトルになっています。すなわち、これもキリストが十字架刑に処せられて3日後に復活したという聖書の記載に由来しており、基本的には「キリストに信仰を置く者がキリストと同様に復活し二度生きる」の趣旨で使われています。死による成仏に重点を置く仏教の教えと復活による生に重点を置くキリスト教の発想の違いが将にこの翻訳の中にも反映されています。
そもそも明治期以降日本に導入されてきた欧米文明の成果もキリスト教精神に基づいており(日本国憲法の基礎たる英米法も国連憲章も同様です)、勿論、日本人がすべてキリスト教に改宗するべきだという意味ではありませんが、非キリスト教文明に属する日本人が、キリスト教精神を捨象し日本的発想で欧米から導入した制度や言語を理解しようとするところに無理があると思われます。そこで、英語を日本語に翻訳する際にも、欧米から導入した制度の本質を理解するに際しても、日本人の土俵上のみで理解するのではなく、その基礎たる欧米人のキリスト教文明に則して解釈する必要があります。そうしなければ、英文和訳も制度の理解も本質・本旨から乖離した不自然なものになってしまうでしょう。