聖書に記録された歴史に関しては、史実ではないとして信憑性を疑う方々もいらっしゃいますが、史実として認めなければ、その事実を前提とした議論が成り立たないので、史実という前提で議論を進めることにします。勿論、聖書中には擬人化された部分や象徴化された部分もあるので、すべてを歴史的事実と考える必要はありません。ちなみに、アメリカの黒人霊歌に「行け!モーゼス」という歌がありますが、これは奴隷だった黒人たちが、古代エジプトのゴシェンで奴隷だったイスラエル人を自分たちに重ねて解放者を待っていたのかもしれません。
聖書によれば、モーセの生涯は120年間とされていますが、それは正確に40年ずつに3区分されています。最初はエジプトのファラオの子としての40年間(第一区分)、次はミディアンの地における40年間(第二区分)、そしてイスラエルの指導者として荒野を彷徨う40年間(第三区分)です。勿論、モーセの生涯の三区分の中で最も重要なのは、イスラエルの指導者としての最後の40年間です。ちなみに、モーセの初婚は当時としてはかなり遅く、初婚時には40歳を優に超えていたと推定されます。すなわち、結婚はミディアンの地の祭司エテロの娘セフォラとの結婚以前には言及がないこと(モーセがエジプトから逃亡した時点でモーセは40歳でした)、モーセも息子のゲルショムもミディアンの地の「寄留者」として言及されていることからミディアンの地に移住後早期に結婚したとは考え難く、モーセの初婚の歳は40歳を優に超えていたと推定されるからです(モーセが80歳となった出エジプトの時点でモーセの長子であるゲルショムが成人(30歳)していなかったので、初婚年齢は50歳を超えていた可能性もあり得ます:ミディアンはアブラハムの子でイサクの異母兄弟)。
最終的には、モーセはマッサ(メリバ)において失敗し、カナンの地に入ることを許されませんでした。聖書によれば、神がモーセに「岩から水が出るように命じなさい」と命令したにもかかわらず、モーセは、方法を違え、杖で岩を打ち、神が命じた方法で水を出さなかったことを命令違反として咎められました(某聖書研究者によれば、モーセがイスラエル民族を「反逆者」呼ばわりしたことも罪として咎められたとのことです)。神は、モーセの死の直前に「ネボ山」上からカナンの地をモーセに見せながら、モーセ自身はカナンの地にイスラエルを導きいれることはできないと宣告されます。結局、モーセは、イスラエルがカナンの地に入る直前に、「ネボ山」の上で死に「モアブの谷」に葬られました。ただし、「モアブの谷」のモーセの墓の位置は当時も現在も特定されていません。
ところで、新約聖書のユダ書には、天使長ミカエルとサタンがモーセの遺体をどうするかに関して議論する場面があって、どうもこの部分は、サタンがモーセの墓の場所を特定しその場所をイスラエル人のための聖地及び崇拝地として利用して大規模な宗教を創設することを意図したのに対し、天使長ミカエルがこれを阻止しようとしたという場面を示唆しているようです。
すると、1つの疑問が生じ得ます。すなわち、モーセが仮にカナンの地の入った後に死去したとしたならば、イスラエルに対する「約束の地」の中でモーセの墓の位置が特定され、サタンの思惑通り、カナンの地の中にイスラエル人のためのモーセに関する聖地及び崇拝地が設立され、大規模な異宗教を創設し得たのではないかということです(カナンの地の外であればこそモーセの遺体を隠密裏に埋葬できたのではないか。実際、モアブとイスラエルは何度も戦争をしており、イスラエル人がモアブの地に侵入することには相当の危険が予想された)。したがって、モーセの失敗如何にかかわらず、モーセがカナンの地の外で死去したことは神の計画にとって良い結果になったのではないでしょうか?勿論、神がモーセの失敗を意図的に画策・利用されたとは思いませんが、結果的にモーセが失敗しカナンの地の外で死去し埋葬されたことは神の計画と調和したとも言えます。