「バベル」というとバベルの塔で有名です。しかしながら、「バベル」とはヘブライ語で「乱れ」を意味します。創世記第11章1-9節(標準英語訳聖書)は、この「乱れ」を意味するヘブライ語が同地の名称として使用された原因に言及します。同1節は、「全地は同じ発音、同じ言葉であった」と記し、当時の人類が1つの言語を使用していたことを示唆しています。ところが、人々は、「・・・さあ、町と塔とを建てて、その頂を天に届かせよう。そしてわれわれは名を上げて、全地のおもてに散るのを免れよう」と言って、巨大な塔を建設し始めます。これが有名なバベルの塔です。
 
そもそも創世記に関しては、ユダヤ教のラビ(教師)の中にも単なる神話と考える人々が多いので、史実として採り上げることに異議を唱える人々が多いとは思いますが、議論を進めるために創世記のテーブルと同じ視線の上で議論を続けることにいたします。
 
次に、このバベルの塔がどの程度の規模であったかに関する記述は聖書中には見当たりませんが、後世のキリスト教の僧職者や宗教画家は様々な推論や空想に基づいて、バベルの塔の規模を描写しています。ブリューゲルが描いたバベルの塔は宗教画としては最も有名なものの1つですが、この絵画中のバベルの塔は雲を突き抜けています。これはいかにも宗教画家らしい誇張表現ですが、実際当時の人々にそれほど大きな塔を作れたはずはありません。このような誇大な描写がバベルの塔の存在を一層非現実的な神話にしていると考えられます。
 
しかしながら、問題の核心は、バベルの塔に関する物語が人類史上再三再四起きてきたことを象徴的に現わしているということです。当時の人々がバベルの塔を建て始めた端緒は、勿論、それが人々の野心に裏付けられたものであったことに疑問の余地はありませんが、彼らが新技術を手に入れたところにあります。同3節では、当時の人々が「レンガを接着するのにアスファルトを使用するという」新技術を手に入れたことに言及しています。すなわち、「レンガを接着するのにアスファルトを使用するという」新技術は、人々が高い塔を建設することを可能にし、天にも達する高い塔を建てるという野心を抱かせたのです。
 
これは人類が歴史上再三再四繰り返してきた失敗でもあり、歴史上新技術を得た人類は、実際に実行可能である以上に新技術を過大評価し、過ぎたる野心を抱き、時にそれが悲劇を引き起こす結果になります。映画「タイタニック」の曲に”Never Absoluteness”という曲がありますが、この曲名は絶対に沈まない安全な船というタイタニック号に対する風刺的な意味合いを持っています。人類の科学技術の進歩は、神のように絶対的(absolute)な力を持ちたいという神に対する挑戦に動機があったように思います。
 
バベルの最初の王は、二ムロデでしたが、彼はバベルを中心に強大な王国を作ろうとしていました(創世記第10章8-12節)。これは二ムロデが「最初の権力者」(同8節)として言及され、彼の王国の最初の中心が「シナルの地にあるバベル」として言及されていることから理解できます。すなわち、二ムロデとその臣民の神に対して挑戦し強大な王国を建てようとする野心の象徴がバベルの塔の建設であったかもしれません。
 
神は、二ムロデと彼の臣民に対して、神は「民は一つで、みな同じ言葉である。彼らはすでにこの事をしはじめた。彼らがしようとする事は、もはや何事もとどめ得ないであろう」(同6節)と言われ、「・・・われわれは下って行って、そこで彼らの言葉を乱し、互に言葉が通じないようにしよう」(同7節)と彼らの言語を分裂させます。これが「バベル(乱れ)」の語源です。ちなみに、神は、大洪水の後にノアに対して「生めよ。ふえよ。地に満ちよ。・・・」(創世記第9章1節)と命じており、バベルの人々の「われわれは名を上げて、全地のおもてに散るのを免れよう」という計画は地上に人類を満たそうという神の計画にも反しました。
 
以下は、このバベルでの物語を前提に推定した議論です。すなわち、人類の歴史上通常1民族は1言語を有していました。勿論、方言はあります。例えば、デンマーク語、スェーデン語及びデンマーク語等のスカンディナビア語は各々方言のようなものです。しかしながら、イギリス人ならば、英語が使用言語であり、日本人ならば、日本語が使用言語であり、後天的に学習によって他言語を修得した場合や異人種間婚交により言語が合成された場合を除けば、通常、人類の言語は「1民族に1言語」が原則でした。
 
そこで、バベルの物語を前提にして、言語の分化と人種の分化はどちらが先だったかという疑問が生じます。すなわち、元々、バベルには多人種が住んでいたのか、それとも言語が乱され、言語が分化した後に、分化した言語集団が住んだ地域の気候の影響で人種が分化したのかという疑問です。 
 
ところで、創世記10章25節に「・・・そのひとりの名をペレグといった。これは彼の代に地の民が分かれたからである」(バベルでの言語の乱れを示唆)との記述があり、創世記11章11節から19節までの年齢計算と合わせ考えると、ペレグの生涯はノアの大洪水後101年から310年ということになるので、バベルでの言語の乱れはこの間に生じたものと考えられます。勿論、創世記の人間の年齢に疑問を抱かれる方も多いとは思いますが、ここでは聖書の年齢計算に従うこととします。 
 
ところで、大洪水を生き残ったのは、ノアの家族のみでしたから、当時の人類には人種の分化はなかったはずです。そして、当時の人類はバベルを中心に一か所に集結して居住しており、バベルで言語の乱れが生じるまで101年から310年の時間しかなかったので、気候の多様性による人種の分化は未だに生じる余地がなかったものと推定されます。したがって、神により言語が乱された後、言語の通じる個別集団ごとに全地に分散した人類に居住地域の気候の多様性に応じて人種の分化が生じたと考えるのが合理的のように思えます。