太平洋戦争の日本軍の戦訓や戦術を考察するときに、まず思い起こされるのが「生きて虜囚の辱めを受けず」「万歳の突撃」「玉砕戦」等の言葉です。これらの言葉にはいかにも勇猛果敢さ、強固な意志を感じさせる響きがありますが、軍事的・大局的にはどのように評価されるべきものでしょうか?
『ザ・パシフィック』(The Pacific)は、実話を基に太平洋戦争における米海兵隊員達と日本軍の死闘を描いた米国製TVドラマシリーズですが、第1章でガダルカナル島の一木支隊と米第一海兵師団の戦闘場面は意味深長でした。一木支隊は兵力約2800名で本来ミッドウェー島攻略のために編成された部隊です。日本海軍がミッドウェー海戦に大敗北したため、グアム島に撤退し駐屯していました。ガダルカナル島に米軍が上陸したので、急遽、一木支隊はわずか916名の兵力でガダルカナル島に向かい、米軍のヘンダーソン飛行場を攻撃します。ヘンダーソン飛行場を守備するのは米第一海兵師団10900名でした。勿論、勝負になるはずがありません。TVシリーズ第一章に負傷した日本兵を2名の米兵が抱きかかえて捕虜にしようとすると、その日本兵が2名の米兵を巻き添えにして手榴弾自決するシーンがあります。これに激高した米兵が日本軍の将校の一人を銃でなぶり殺しに射殺します。
「生きて虜囚の辱めを受けず」という日本軍の戦訓は、「リメンバー・パールハーバー」という標語を唱え、復讐心に燃え、未だ日本人に対する人種偏見を有する米軍兵士の偏見を更に強め、「日本軍兵士」は決して捕虜にならないという先入観から米軍兵士の日本兵を捕虜にするという姿勢さえも放棄させてしまいました。そして、米軍兵士は、勿論、人種偏見もあったでしょうが、恐らく生死観の違いから日本兵を捕虜にすることは無意味だと考えるようになったと思われます。結果として、投降する意志を持った日本兵までが投降できず殺されることが多々ありました。同時に、投降する意志を持つ一般市民も日本軍が投降を許さなかったために戦闘の巻き添えになり多数殺される結果になりました。
最適例は、サイパン島と沖縄です。例えば、サイパン島では、一般市民が8000人~10000人戦闘に巻き込まれて死んだと推計されます。同時に、沖縄戦では、県外出身日本軍兵士、現地召集日本軍兵士及び現地召集軍属を除いた一般住民の死者は、38000人程度に達したと推計されます(ウィキペディア参照)。ところで、これら数万人の一般市民の死は戦局を有利にすることに何か貢献したのでしょうか?結論的には無意味な死です。逆に、仮に数万人に及ぶ多数の住民が捕虜になったとすれば、米軍は多数の住民を収容する施設を建設し食糧や医療品を供給するために物資を輸送しなければならず、米軍が住民収容施設を運営するために転用する必要がある戦力と物資は膨大なものになったことでしょう。これは戦争遂行上米軍に大きな負担を負わせることになります。なるほど、米軍によるサイパン戦や沖縄戦における住民虐殺の話も時々耳にします。勿論、戦闘上の不可抗力、戦争遂行上の異常な精神状態や人種偏見も住民の住民虐殺の一因であったかもしれません。しかしながら、「生きて虜囚の辱めを受けず」という日本軍の戦訓により態度を硬化させた住民の対応も主要因の1つであったことに間違いはありません。
一方、日本軍兵士の全滅に関しても同様のことが言えます。例えば、サイパン戦では、日本軍は、米軍上陸後、約8000人の将兵を終結させ、アースリート飛行場の奪還を図り突撃しましたが、1日でほぼ全滅しました。また、バナデル地区に残存していた約3000名の日本軍兵士が戦闘の最終段階で「バンザイの突撃」を行い全滅しました。これら1万人以上の兵士たちは、無謀な突撃で米軍の圧倒的火力に曝され大量虐殺されました。
次に、沖縄戦でも、日本軍が米軍陣地に対して無謀な総攻撃をかけ、約7000名の戦死者を出しました。沖縄軍の高級参謀・八原博通が戦後書いた「沖縄決戦」という本では、積極的攻勢案を主張する長勇参謀長と攻勢に消極的な持久戦案を主張する八原の対立について記しています。結局、八原の予想通り日本軍は大損害を受けて敗退しましたが、八原は、長の「八原君、頼む、俺と一緒に死んでくれ」という感傷的な訴えに折れて攻勢に同意します。長が生粋の日本陸軍の将軍であったのに対し、八原は米国留学経験を持つ日本陸軍の中では異色な合理主義者でした。長勇の態度は、当時の日本軍人の典型的な死生観を示しています。
ところで、太平洋戦争中どれだけの日本軍兵士が無謀な突撃やバンザイの突撃で戦死したかは不明ですが、『餓死した英霊たち』(藤原彰著 青木書店 2001年5月発行 第5頁~第9頁)は、太平洋戦争における軍人・軍属の戦没者約230万人中約140万人が戦病又は餓死したと推計します。例えば、ガダルカナル島、インパール作戦、メレヨン島(現ポナペ島)、ウェーク島、ニューギニア、フィリピンのレイテ島(「野火」大岡昇平著参照)、等は有名です。多くの兵士たちが補給不能の島々で孤立していました。太平洋全域に多数の兵士を分散配置した日本軍に対して、米軍は飛び石伝いに重要拠点を攻略し、補給を断たれた周辺の島々の日本軍は連絡途絶し孤立しました。一方、外地における一般市民の戦没者数は、約30万人です。勿論、一般市民の一部は孤立した島々にもいました。
太平洋戦争で犠牲になった一般市民や無謀な突撃で戦死した兵士たちの中のどれ程の人数が投降可能であったかは不明ですが、少なくとも数十万人単位の人々に投降可能性があり、潜在的には数十万人の被収容者及び投降者の発生可能性があったものと推計されます。米軍が数十万人単位の被収容者及び投降者に対する収容施設、供給物資及び管理のための転用戦力を負担したと仮定した場合、米軍の戦争遂行にかなり大きな負担となったと考えられます。そして、無謀な突撃で戦死した兵士たちが戦死せずに持久戦を継続したと仮定した場合、あるいはバンザイの突撃等で全滅した部隊がゲリラ戦等の長期持久戦(例えば、サイパン島の大場栄大尉や沖縄戦の伊東孝一大尉、等)を展開していたならば、米軍の戦闘上の損害は増加し相当の消耗を強いられたと考えられます。実際、沖縄戦で総攻撃を行わずに耐久戦闘に徹した場合には終戦時(8月15日)まで沖縄での組織的戦闘は続いたと見る有力説もあります。
ちなみに、米軍兵士の沖縄戦の日本軍総攻撃に関する感想を記録したものがあります。彼らの感想に共通する内容は「奴らが出て来てくれて助かった。あのまま地下に潜っていたらどうなったことか」というものです。また、サイパン島の米軍は、終戦までゲリラ戦を展開した大場栄大尉を「フォックス」と呼んで尊敬した等の逸話もあります(『タッポーチョ「敵ながら天晴」大場隊の勇戦512日“Oba, the Last Samurai: Saipan 1944-45)”』(ドン・ジョーンズ著、中村定訳、祥伝社刊)。実際、サイパン島、硫黄島、沖縄戦、等の激戦地では、日本軍が成算のない無謀な攻勢に出た後、戦線が崩壊して戦闘終結を早めています。結局、日本軍兵士の無謀な最後の突撃や一般市民の頑強な投降の拒否は、決して戦局を有利にせず、単に無駄な犠牲を払ったにすぎないということなのでしょう。