諸宗教では、人間の死後の運命に関して、天国や地獄へ行く、復活する、輪廻する、等の様々な考えがあります。いずれの発想を取るにせよ、地球は、歴史上誕生した全人類を収容できるかという疑問にぶつかります。もっとも、人口論と宗教を完全に分離する方々には全く無関係でしょうが・・・
では、地球は、人類の歴史上誕生した全人類を収容することが可能でしょうか?結論から言えば、不可能です。勿論、人類の起点をどこに置くかによっても異なって来るでしょう。インターネット上で検索した結果によれば、地球の歴史上誕生した全人類の推計総数は、300億から1000億とかなりのバラツキがあります。中には、5000億以上などという推計を出す資料もありました。
ところで、今世紀末までに世界人口は約110億人に達するという国連人口予測があります。「6月13日に発行された国連報告書によれば、新統計分析は、今世紀末までに世界人口が約110億人に達する可能性があることを示唆する。」“A new statistical analysis shows the world population could reach nearly 11 billion by the end of the century, according to a United Nations report issued June 13”(“UW research: World population could be nearly 11 billion by 2100”, University of Washington, Molly McElroy, June 13, 2013).
一方、2014年4月29日付The Wall Street Journal(日本語版)によれば、「1679年、オランダの偉大な顕微鏡学者アントニー・ファン・レーウェンフックは地球が収容できる人数を134億人と推定したが、ほとんどの人口統計学者は世界の人口がそこまで増えることはないと考えている。・・・経済学者によると、私たち人間は肥料を使い、機械化を進め、殺虫剤を噴霧し、かんがい設備を整備した結果、1エーカー(約4000平方メートル)当たりの土地の生産性は上昇し続けている。今後、イノベーションが起きれば、上限はさらに引き上げられるはずだ。ロックフェラー大学のジェス・オーズベル氏は一定量の食糧生産に必要な土地の広さは全世界でこの50年間で65%縮小したという。生態学者はこうしたイノベーションが石油やガスといった再生不能な資源や、帯水層のように補充が利用に追いつかない再生可能資源に依存していると主張する。だから、今の収穫高を維持することはできないし、ましてや向上させるなんて不可能だ。生態学者のカール・サフィーナ氏は出版したばかりの「The View from Lazy Point(レイジーポイントからの眺め)」の中に、全ての人間が米国人と同じ生活水準で暮らしたら、地球が2つ半以上必要になると書いている。米国人の消費水準を基準にした場合、今ある農地だけでは25億人以上分の食糧を生産できないからという。生態学の創始者の1人と言われるハーバード大学名誉教授のE・O・ウィルソン氏は人類全てが菜食主義者になれば、100億人を養うに十分な食糧の生産が可能と計算した。」
さて、人間の死後の運命に関しては、多種多様な宗教で多種多様な考え方があります。しかしながら、人間は、死後に悪事を行った者は地獄に行き、善行を行った者は天国又は極楽へ行くと考える宗教的発想がどうやらキリスト教や仏教を含めた宗教全般で主流のようです(勿論、バリエーションはありますが・・・)。無神論者は、人間が死んだらすべてが終わり無に帰すると考えます。また、天国や地獄の教えとともに輪廻を語る宗教も多いです。すなわち、生前、善行を行った者は、高等な生物として再生し、生前、悪行を行った者は、下等な生物として再生するという発想です。なお、キリスト教の中には、すべての人間が天国に行くのではなく、一部を除いて大半の人間は、基本的に地上に復活すると考える宗派もあります(某米国ニューヨーク市ブルックリン区に本部を置く新興キリスト教)。同宗派は、輪廻も否定します。同宗派は、悪行ゆえに復活する価値がない者として既に神の裁きを受けた少数者を除いて、人類はすべて地上に復活すると主張します(ヨハネ5:28,29、ヘブライ19:28,19)。
同宗派は、復活しない少数者の数を特定してはおりませんが、上記のように地球の収容可能人口の限界はせいぜい100億人程度であり、しかも、これは最新の科学技術等を利用して地球環境に不自然に過大な負荷を与えて始めて可能な限界数です(ハーバード大学名誉教授のE・O・ウィルソン氏は、菜食主義を想定しても聖書時代のような田園的生活を想定しているわけではないと理解されます)。300億から1000億の推計値の中の控え目な推計値である500億を採用しても、収容可能人口の5倍です。地球が復活する人々をすべて収容することは不可能でしょう(まして同宗派は、新世界での新しい子供の誕生も想定していますし、復活した者は、原則的に罪を犯して裁かれない限り老齢でも死なないと主張します)。
同キリスト教派は、イエスは「5つのパンと2匹の魚」で5千人に必要な食事を用意する奇跡を行われたから、新世界でもたとえ数十億の人類をも養うことができると主張します(マルコ6章30-44節)。しかし、五千人に一度の食事を提供したのと、数百億人の全人類を定期的かつ永続的に養うのとは次元が違うレベルの問題です。
また、同教派は、同様に、出エジプトの際に、神が200万人程度(民数記1章46節から推計)はいたと推計される全イスラエルをシナイの荒野で「天からのマナ」を毎日与え、40年間養われた例を挙げます(出エジプト記16章4節)。これとても、イエスの奇跡とは規模が違うとは言え、数百億人の全人類を定期的かつ永続的に養うのとは次元が違うレベルの問題です。
神の英知が創造に際してすべてを計算の上、地球の収容能力及び生産能力の範囲を設定して一定の限界を設けたならば、無制限の人口増加は許容していないと理解されます。創造の第6日目終了時に神が創造を終了して創造の第7日目の安息日に入った時に、地球の収容能力及び生産能力の範囲は既に設定されていたと考えるのが合理的です。その後、無節操に人口爆発して数百億に増加した人類すべてを地球の収容能力及び生産能力が受け入れられるとは考えられません。また、神も、数百億人の全人類を定期的かつ永続的に奇跡で養うことなど当初から想定しておられないでしょう。
さらに、同教派の理解によれば、「ノアの大洪水の日に天蓋からすべての水が落ち、地球環境は大変化し、増加した水を収容するために地球の地殻が大変動した」とのことです。この見解によれば、地球環境は、人類に過酷に変化し、それが原因で人類の寿命は短縮され、増加した水を収容するための地殻大変動が原因で、海は深く山は高くなり、人類の居住可能面積は、著しく減少したことを示唆します。すなわち、創造の第6日目終了時よりも「ノアの大洪水」後には、地球の本質的な収容能力及び生産能力は大幅に低減したことを意味します。にもかかわらず、同教派は、神は、復活する数百億の全人類及び新たに生まれる子孫をも養えると主張します。
同教派は、宗教と科学を混同しているように思われます。自分たちの宗教教義の正当化に都合がよい科学的見解を取捨選択してパッチワークしており、選択された科学的・歴史的見解は少数派の見解や奇抜な見解が多いようです。しかも、同科学的・歴史的見解の背景や本旨から離れて自らに都合が良いように独自の文理解釈している感があります。聖書の理解に関しても同様のことが言えます。確かに、同教派は、聖書研究に膨大な時間を費やし、多数の書籍や出版物も発行しています。しかし、彼らは、科学者ではなく、神からの霊感を受けた預言者でもなく、一聖書研究者にすぎません。なるほど、時には科学的見解で宗教的見解を証明できる場合があるとしても、科学的見解と宗教的見解との完全調和を図ることには無理があると思います。しかし、同教派の聖書の解釈及び科学的見解の取捨選択を神の絶対的選択と同視する態度には問題があります。同教派の見解が神の絶対的見解ではないことは、同教派が長年に渡り自らの見解を修正してきたことからも明白です。
一方、逆に、「科学的に証明できないから、神など存在しない。」と言う人々もいます。しかし、神や宗教を信じる人々の大半は、科学的根拠による神や宗教の証明を当初から期待してはいないと考えます。ローマ法王ベネディクト16世は、「宇宙の創造に神の存在など必要ない。宇宙は極めて自己完結的である」と述べたスティーヴン・W・ホーキング博士に対し、「宇宙は神の創造物である」と反論していますが、これは決着のつかない不毛の論争でしょう。もっとも、後に、ベネディクト16世は、「宇宙物理学の理論と神の創造に対する信仰は矛盾しない」とコメントしています。これは、科学と宗教を同次元で論じることには無理があるとの趣旨であると理解されます。