英語で全知は”omniscience”と訳出され、全能は”omnipotence”と訳出されます。一方、全能を表す英語表現としては、他に”almighty”があります。聖書中に「全能」という表現は48回出現します。通常、全能には、英語”almighty”が使われています。しかし、英語聖書中で”omnipotence”(全能)は一度も使われていません。一方、英語聖書中に、全知”omniscience”という表現は一度も使われず、”almighty”が「全知全能」又は”Almighty God”「全知全能の神」と訳出されている場合があります。
 
”almighty”(全能)は、ヘブライ語の原義上、「被造物(人間を含む)に係る約束及び目的を十分に達成可能な能力」の意味に解されます(創世記28章3節)。同原語は、天使や人間を含む被造物との関連で「全能」という意味に使われているのであり、全宇宙の100%いかなる事象も起し得ない事象はないという意味ではないと解されます。例えば、「人間にとってこれは不可能であっても、神には、すべてのことが可能です。」“With men this is impossible; but with God all things are possible(マタイ19章26節:ジェームズ王欽定訳)という言葉があります。ここで、マタイ書の言葉は、人間に宛てられており、「人間にとってこれは不可能であっても」という付言が添付されていることにも注目する必要があります。微小な惑星・地球上の古代の人間に対して、138億光年±の広がりを持つ広大な宇宙の中のすべての事象を想定して、「不可能はない(全能)」という表現を用いることは現実性も必要性もなく、「少なくとも地球上に住む人間に関する目的・約束に関して不可能はない」の意に解する方が適切です。
 
バベルで人類の言語を乱した時に、神は、“And the Lord said, Behold, thepeople is one, and they have all one language; and this they begin to do: andnow nothing will be restrained from them, which they have imagined to do「そして、主は言われた。人々は1つであり、彼らは皆1つの言語を有している。・・・今、彼らが行おうと意図することで止め得るものは何もない。」(創世記11章6節:ジェームズ王欽定訳)とおっしゃっています。これは、その時が介入の適時であり、神がそれ以上人類に介入しなければ、人類を制御不能にする可能性があることを含意しています。すなわち、これは、人類の問題を放置しおいて何時に介入しても神には人類の制御が可能であると意味ではなく、神にも逸することができない介入の適時があり、介入の適時を逸することはできないということを示唆しています。勿論、神が介入の適時を逸することはないと思いますが、神の(すべて不可能はないという)全能性は、神の適時の介入を前提としていることは興味深いことです。
 
次に、聖書は、神に過去・現在・将来に渡る100%の知識を有するという意味での全知性を想定してはいません。
 
例えば、サタンは、どのようにしてアダムとエバに接近して誰にも邪魔されることなく、自分の誘惑を遂行し得たのでしょうか?この質問に対する解答の糸口は、エゼキエル書28章1-19節に発見できます。この部分は、一義的にはツロ(ティルス:レバノン南西部に位置するユネスコ世界遺産に指定された都市遺跡。当時はフェニキア人の都市国家)の王に宛てられた言葉ですが、二義的にはサタンに宛てられていると伝統的に理解されています。ここでは「あなたはエデンの園にあって・・・」(エゼキエル書28章13節)、「わたしはあなたを油そそがれた守護のケルブと一緒に置いた」(エゼキエル書28章14節)という表現に注目できます。同部分の日本語訳は重要な点が曖昧であるので標準英語訳を参照することにします。”You were in Eden, Gods garden・・・”「あなたは神の園であるエデンにいた」(エゼキエル書28章13節)、”You, a winged creature (cherub), were installed as a guardian・・・”「(神は)・・・ケルビム(羽を持つ生き物)であるあなたは、守護者として任命された」(エゼキエル書28章14節)。これらから、サタンは、エデンの園において人間を保護する立場にある守護天使であったと推定できます。すると、創世記の記述をより良く理解できます。すなわち、サタンは、エデンの園において最初の人間夫婦アダムとエバを守護する天使であったので、常時、人間夫婦アダムとエバの傍らにおり、彼らを最適の視点で観察できたということです。したがって、サタンは人間の性質を最も良く観察できる立場におり、人間の心理構造上の弱点を理解した上で、最適時・最好機に人間に対する作戦に着手することができたと考えられます。
 
では、なぜ神はこのような事態を事前に予測して対処できなかったのでしょうか?それは、神の予測及び知識が一定の制限を受けているからだと思われます。恐らくサタンは、過去に天使長ミカエル及びガブリエルに次ぐ第3位の高位にいたケルビム(恐らくは第一位のケルビム)であったと推定されます。仮に神が第三位の天使に事前に疑念を抱き対応するようであれば、神は、全被造物の誰をも信頼して仕事を任せられず、神の組織自体が成立しなかったことでしょう(コリント第一13章7節)。そこで、高位の天使に対する神の信頼は、神の予測に制限的であったことでしょう。
 
次に、神は、サタンとなった天使を最も信頼して、サタンを最初の創造(Genesis)の最重要部分である最初の人間夫婦の守護天使に任命したのでしょうが、それはサタンにとって決して栄典・特権ではなかったかもしれないということです。天で第三の地位にあったサタンにとっては、この微小な惑星・地球上でエデンの園の最初の人間夫婦を守護するという役割が天からの降格にも思えたかもしれません(エゼキエル書28章3節、12-15節:明智光秀の能力を高く買った織田信長が光秀の現領地である坂本を没収し、未だ敵領地である石見等を新領地としたことが本能寺の変の端緒になったのに類似している)。恐らくサタンは、人間を近くで観察して人間が自分たち天使よりも劣等であり、弱点もある生物であることに気付いたと思われます(ヘブライ2章7節「天使たちよりも少し低い」という表現、ヨブ記1章2章では、サタンは、ヨブを含めた全人類を見下して人類の倫理性を低く評価していますが、これは、サタンが人間を利用して反逆に着手したこととも関連性があると思われます)。すなわち、天使よりも格が低い劣等な知的生命体である人間の守護天使に任命されたことが、サタンとなった天使の誇りを傷つけたために、サタンとなった天使は、神の創造の目的を挫折させて一矢報いたいと考えたのがサタンとなった天使の反逆の動機だったかもしれません。このように、神の知識・予知は制限的であり、そのことのゆえに神の目的にとって想定されない結果が生じることもあります(創世記6章6節、出エジプト記32章14節、サムエル第一15章11節:ノアの洪水の日に天の上の水<いわゆる天蓋:実際には、バンアレン帯のような層だったと思われます>が落下し、天の上の水は、地球の創造の日(Genesis)が終了した以上、2度と元には戻らず、地球環境は、神が当初想定されたような完全な環境には永遠に戻らないと思われます)。