気づけば、ブログを書き始めてからそれなりに時間が経ちました。
今までの過ごした方の部分を淡々と綴っていきます。
妻が亡くなってから、しばらくは茫然としたまま、職場と家を行き来するだけの生活が続きました。
出勤するとすぐ外回りに出られる環境だったため、長く一緒に働いていた上司以外と話さない日も多く、1日を一人で静かにやり過ごしていました。
営業先のショッピングモールのソファに座り、何をするでもなく時間だけを潰していたこともありました。
事後の3ヶ月ほどは記憶が曖昧で、たくさんの友人が弔問に来てくれたものの、ありがたい気持ちと誰にも会いたくない気持ちが同時にありました。
無理に普通に振る舞う自分にも嫌気がさしていました。 誰もいなくなると、気持ちはさらに落ちていきました。 周囲との温度差のようなものも感じていました。家でも外でもよく泣いていました。
生きているというより、ただ時間に運ばれていた感覚です。
気持ちが少しだけ動き始めたのは半年後のことでした。
妻が育てていたバラが咲いたのがきっかけでした(これは当時ブログにも書きました)。
凍り付いた心がひび割れた、そこに温かい気持ちが入ってきた感じでした。
その頃から心療内科に通い、眠剤を処方してもらうようになりました。
家は住み替え、妻と出かけていた車も手放しました。
意識していたわけではありませんが、身の回りの環境を少しずつ変えていったのだと思います。
その後、猫を迎え入れました。
これは前を向こうという気持ちではなく、これ以上はこのままでは耐えられないという悲鳴だったのかも知れません。
そして、仕事を辞め、1年だけ専門学校に通いました。
資格を取り、今の仕事をするようになりました。
資格を取り、今の仕事をするようになりました。
立ち上がるという言葉を使うには、少し大げさに聞こえるかもしれません。
それでも、ずっと自責の中にいた私のような人間でも、もう一度動き出すことはできました。
今でも自責はなくなりませんが、支援の仕事をしているときは、生きている実感があります。
今でも自責はなくなりませんが、支援の仕事をしているときは、生きている実感があります。
立ち上がるというより、倒れたまま這うように進んだ感じかも知れません。
家に帰ると孤独ですし、猫には手を焼きますが、それでも支えになってくれています。
ただ、友人にはあまり会いたくありません。
それぞれ守るべき家族がいて、私はいない。
少しでも状況が違えば、私にも同じような未来があったのかもしれないと思うことがあります。
それは、やはり嫉妬なのでしょうか?
それでも、専門学校のクラスメイトだけは別です。
彼らとは気持ちが通じ合っていて、大切な戦友だと感じています。
彼らとは気持ちが通じ合っていて、大切な戦友だと感じています。
この感覚は、今でも変わりません。
これは、家族として会いたい気持ちではなく、心の痛みや葛藤を共有しているから。
同じ方向を向いたことがある仲間だからですね。
ブログを始めた理由をまとめると、
こうした自分の気持ちや経過をどこかに置いておきたかったこと。
こうした自分の気持ちや経過をどこかに置いておきたかったこと。
そして同じような経験をした人が読んだときに、少しでも一人ではないと思えるかもしれない。
そんな気持ちがあったのだと思います。
生ききって、妻にこれまでのことを報告する!
そんな目標を自分で立てていますが、
私の不様な生き方を見て妻は、どんな顔をするでしょうか?ただ、胸を張って報告したいです。
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妻へ
あなたがいなくなってからの毎日は、本当に辛かったです。
仕事と家を往復するだけで、気持ちは沈んだままでした。泣くことも多く、誰とも話したくなくて、ただ時間だけが過ぎていました。
半年後、あなたの育てていたバラが咲いたことをキッカケに、生活を少しずつ変えていきました。
一緒に選んだ家を替え、一緒に出かけた車を手放し、そしてパールと言う名前の猫を迎え入れました。心療内科にも通い始めました。
その頃から思うようになりました。
「あなたのように、生活に生き辛さを感じている人達に希望を一緒に探せる人になりたい、一緒に伴走していける人になりたい」と。
後悔や自責ばかりの自分でも、誰かの力になれたらと。
その思いで仕事を辞め、学校に通い、資格を取りました。
今、支援の仕事をしているのは、
あなたが救われて欲しかった気持ちを、誰かに向けて返したいからです。
立派な理由ではないけれど、これが正直な気持ちです。
胸を張れる生き方ではなかったかも知れません。
情けない日も多かったし、今でも自責は残っています。色んな後悔だらけです。それでも、生きてきました。
もし会える日が来たら、こう伝えたいです。
「大変やったんやで。聴いてほしい。
あなたがいなくなってから、こんな日々を過ごしてきた。どうしようもなく辛くて、それでも生ききったと思う。こんな不様な生き方の自分でも、いつものように抱きしめてくれますか?」
そのときは、もう少しゆっくり話をさせてください。