何事にも大きな興味がなく、すごく冷静で冷めた目で色々見るようになってしまいました。
どんなことも
「どうでもいい」
という感じで、 ほんとにどうでもいい。
この人たちは、なんでこんなことでいつまでも騒いでるんだろう?
的な考えしか持てなくなっています。
それ、今ここでぎゃーぎゃー騒いでても何も変わらなくないですか?
ぎゃーぎゃー騒ぐのはいいけど、じゃあ腹案はあるんでしょ?
え?ないのですか?何も?
騒ぐだけなら誰でもてきますよ…。
終始こんな感じの感情です。
私が学んできたことは
障害がある方の障害の部分を見るのではなく、障害以外の部分を客観的に見て
その為にどういう方向性の支援ができるかを当事者と一緒に考えていくこと。
決定するのは本人の自己決定を尊重します。
その結果として、失敗してもいいのです。
失敗は学びを生み、自分を見つめ直すことで自己覚知していける。
大きな失敗にならないように私達は見守る事が使命ではないでしょうか?
もしも失敗した時、またここに戻っておいで、
という道(選択肢)を用意しておくことでいいのてはないでしょうか?
失敗も経験であり、成長であり権利でもあります。
失敗とれる行動に移せたことをまずは評価したと思います。
過度の介入だけが支援ではありません。
その人を支援の必要な何もできない人として見るのではなく、
私達と同じ生活者として見ないとおかしな方向に進みます。
私の言っていることは書生の理想論なのは分かります。
でも、その理想は持ち続けたいモノであります。
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