引きこもりの定義というモノがあります。
就労や就学などの外との交流を避けて
6ヶ月家にいる状態だと
引きこもりになります。
買い物とかに行ってても、引きこもりということになります。
外との(社会との)繋がりが断たれた状態=引きこもりに。
自ら望んで外との交流を断つこともあれば、そうじゃない場合もあります。
思えば、妻は就労の意思は強くありましたが、なかなかうまくいかない状況でしたが、
買い物にも行っていましたし、親戚とも会っていました。
しかし、社会との繋がりという面では、孤独だったと思います…。
妻のニーズに寄り添うことが、私は出来なかったのです…。
そうさせてしまったのは、私のせいだと今も思っています。
私は勘違いしていました。
妻は働かずとも、私と一緒に暮らして一緒に出かけて。鉢植えでお花を育てたり、本読んだり、映画を観たり。
お金の稼ぎは私に任せてくれたらいい。
それが妻にとって、最も負担が少なくて安定することだと信じていました。
人にとって、無くしては行けないモノに
社会との繋がりがあります。
これが無くなると、どんどん自己肯定感も落ちていきます…。
もう一度、自己肯定感を本来の自分の域まで持っていくことは、並大抵のことではありません…。
そんなことも、私は分かりませんでした。
今、私は支援を求めてる方の、自分でも分からない隠れた希望を引き出し、本人の自己決定を尊重して社会と繋ぐ役割を担う仕事をしています。
でも、まだ何も出来ていません。
長い目で見てほしいと思っています。
私が妻に出来なかったこと。
それを仕事としてしようとしているとは、皮肉なこと。
妻はどう思ってるかな?
やるからには、誠意を込めて。
できる限り、力を尽くしたいと思います。
大した力はありませんが…。
それが、私の妻に対する償いでもあります。
会いたいなあ。
猫のパールは自由なので、写真を掲載しときます。


パールは自由でいいなあ、と思います。
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