「とにかく早く。すぐにでも逝って、大切な人に再会したい」


そう思うのではなく、


「一日でも長くしっかり生きている姿を見せてあげ、そして一日でも長く供養してあげる」


そう考えた方が自分にとっても良いし、もちろん故人にとっても嬉しいことであることは間違いない。

故人にとっても大切な存在のあなたが、一日でも長く生きて、自分のことを心のどこかで忘れずに思ってくれること。


あなたなら、どっちが良いですか?

私ならすぐに会いに来て欲しくない。

あなたのこれからのことを、少しでも長く見つめていたい。

私のことを心のどこかで少しでも長く思ってくれていたら(私に縛られることは望んでない)、それが一番嬉しいし楽しみだ。これに勝る供養の方法はない。




本を読んでいると、こんな一説がありました。

確かにおっしゃる通りかも知れません。

頭では分かっていても…。

いや、皆分かっているのでは?

 

それに勝ってしまう自責や、あるいは怒りが薄まる時が来れば。

心の底からそう思える日が来るのでしょう、か。

到達点に達するまでに、自分の命は輝きを取り戻せるのでしょうか?

長い自分との闘いかも知れません。


残された人達は、皆。

自分自身と激しい闘いの毎日です。

いつも笑顔のあの人は、実際はボロ雑巾のようにクタクタになっているのかも知れません。

救いを求めて涙を流しているかも知れません。


どうすれば、力になれるでしょうか?

私が進もうとしているのは。

自分とも闘いながら、自分と闘っている人達に救いを見つけさせてあげたい。

そんな無謀なことなのかも知れません。


眠剤が効いてきたようなので、この辺りで。



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