こんばんは。

皆様の年賀状関連のブログを拝読していて、腑に落ちました。


私は今回の年賀状は、少し遠い親戚と本当にお世話になった身内(姻族ですが身内と呼ばさせてもらいます。) 

会社の人に(本当にお世話になった2名)のみに出しました。

 

前回は喪中なので出さず。

その前までは、友人関係に結構な数を送っていましたが、今回はゼロです。


身内に送った年賀状にすら、私は「おめでとう」という言葉は使っていなかった気がします(送ってしまった年賀状を見返さないので今は覚えていません)

それは、めでたい事は何もないからです。

(言い過ぎたかも知れません、それぞれにめでたいことももちろんあります)


しかし、大きな痛みを経験している身内に、

おめでとうと書くことをためらったのだろうと思います。その大きな痛みを超えるくらいのめでたいことがあったならば、ためらうこともないです。


身内にはおめでとうと言うこと・言われることに何の抵抗もありません。

完全に心を許している相手です。

お互いに心情を一番理解しているのです。

だからこそ、おめでとうと呼び合いたいですがためらったのでしょうね、年賀状で。



本日の会社の初日、ほうぼうでおめでとう合戦しておりましたが、私は誰にもおめでとうとは言いませんでした。


本年もよろしくお願いします、としか。

会社の人間は、私の心情を全く知らないから当然なのですが、社交辞令のおめでとうは聞きたくありませんし言いたくありません。


友人、先輩などからは何枚か年賀状が届きました。

幸せな家族の風景もあれば、

淡々とした体調はどうですか?の確認だったり、まちまちでした。


今、私にはこの家族の風景の写真年賀状を受け容れる為の心の広さがないのだと気が付きました。


友人達は、いつもの日常に戻って行くのが当たり前なのでそれでいいのですが、

完全に埋まることのない温度差が辛いのです。


今はどんどん心が狭くなり、

相容れない事に対して拒絶してしまう時期なのかも知れないなと思いました。


思いやり、思いやりと言いながら

私はこんな人なんです。

どんどん面倒くさい奴になって来ました。

こうして、友人だと思っていた人達も離れて行くのかも知れません。


いただいた年賀状には寒中見舞いでお返ししました。

おめでとうは使わずに。


八方美人で軽いところが持ち味だった私が、こんな面倒くさい奴になってしまって

妻はどう思っているでしょうか?

聞きたいです。


 

眠剤が効いてきました。

寝れそうです。



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