こんばんは。
調子が下降気味ですが、なんとかもっています。
会社に出ても、2日連続で必要な事務処理だけ済まして、
一言くらいしか会話することもなく、わざわざ遠方に出て直帰しています。
(仕事はまじめに取り組んでいます)
自分のブログなんだから、書きたいこと書いたらいいと言ってくれた人に感謝しながら、
今日は少し自分達の事を書こうと思います。
双極性障害のことも触れますので、気分を害するかもと思う方は読まないでください。
まもなく春分の日です。
4年前の春分の日、初めて妻の家族と正式にご挨拶しました。
妻の両親は海外に移住していますので、妻のご兄姉のご家族と食事に行き、結婚前提でお付き合いしている報告をしました。
(お義父さんには「外堀から固めたんやな」ってからかわれます)
皆、暖かく迎え入れてくれました。
何より、妻が嬉しそうでした。
妻が嬉しいと、私も嬉しい。
結婚を決めるまではすごく早かったです。
きちんとお付き合いをする、ってなってから3ヶ月しか経っていませんでした。
妻は「あたしが結婚出来るって思ってなかった」と言っていました。
まず、自分のリズムがあるので、それが崩れて状態が悪くなることへの恐怖感もあったと思います。生活リズムを整えるのが大事なんです。
(親も「結婚はあきらめて」という感じだったと聞いています)
そして、パートナーの理解がないと
生活出来ないから。
(私はどこまで支えることが出来たのでしょうか…)
だからこそ、結婚するってなった時に
心配もあるけど、暖かく迎え入れてくれたのだと思います。喜んでくれたんだと思います。
もちろん私にも「生涯この人を支えて、添い遂げていく」という強い決心と愛情がありましたので。
元々、私と妻は小・中学校の同級生。
なので、お互い知り合ってからは長いもんです。
それぞれに違う人生を歩んで来ましたが、
私が歩んで来た道より、
遥かに試練が多い道を妻は歩んで来たと思います。
妻の試練は、19歳の時に双極性障害と診断され、半ば強制的に入院させられたことから始まると思います。
半ば強制的ではありますが、家族からしたら
それは愛情です。
間違いなく。
だけど、妻からしたら。
19歳、最も楽しい頃だと思います。
突然外界から隔離され、外出も、部屋から自由に出ることすら出来ない環境に放り込まれたわけです。
拘束もされていたと聞きました。
(隔離病棟の鍵付個室では、そういう処置は適切な判断で行われるとのことです)
最初の入院は長かったと聞いています。
通っていた看護短大も休学せざる終えなくなり、計6年かけて看護師の免許を取得しました。
それだけでも、私は妻のことをすごく尊敬します。よく頑張ったと思います。
小学校の卒業論文に
「将来の夢は看護婦さんになること」
と綴っておりました。
自分の夢。
だからこそ、ずっと看護師として働きたいという気持ちが強かったのだと思います。
こだわりたかったのだと、今は思います。
まだまだ元気には程遠いけど、
ちゃんと生活してるから。
だから、
心配しないで
安心してゆっくり休んでね。