21年ぶりの再会!その1「まずは大学入学前の説明からw」 | レジストリーTIME

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今から 遡(さかのぼ)る事

 

25年前の 1999(平成11)年 4月…

 

 

オレは 北の大地 北海道の

 

右端の方にある とある大学に 入学した…

 

 

更に 遡る事 1年前

 

頭の悪い オレは 大学受験に 失敗したw

 

 

1年間 大学浪人をした末

 

大阪府寝屋川市にある 私立大学

 

・京都市内にある 私立大学

 

最後に この

 

・北海道の 右端にある 公立大学

 

の 3つの大学に 合格した…

 

 

そして その中から オレは

 

北海道の この公立大学を選んで 入学した

 

 

入学の決め手と なったのは

 

母と共に 下見に行った際に

 

10数年ぶりに 降ったという ドカ雪の中

 

男子寮の下宿と 学生マンションを

 

経営しておられる 御夫婦の おばさんが

 

わざわざ 車で 大学まで 迎えに来て下さり

 

両方を 見せて下さった時の事だった

 

 

オレは 高校生まで

 

ずっと 京都から 出た事が 無かった

 

当然 実家生活者だったので
 
1人暮らしも した事が 無かった

 

 

それと同時に 祖父母・両親は 比較的

 

顔が広い事もあり 京都で 何かしら

 

オレが 行動を 起こすと

 

「あぁ~ レジさんとこの お孫さんかいなw」

 

「何や レジんとこの 息子かw」

 

…等々

 

 

ほぼ 必ずと言って 良い程

 

家族の誰かと 結び付く事が 多かった

 

幼い頃は オレの 目の前に居る 人物が

 

家族の誰かと 知り合いだという事で

 

随分 安心した事を 覚えている

 

 

だが 小学生から 徐々に 年を取り

 

高校生になる頃には この状況は 自分にとって

 
少々 悩みの種と なっていた…

 

 

それは オレの 見知らぬ相手が

 

オレの家族の 誰かと オレの存在を

 

紐付けた途端 色眼鏡で 見られる事が

 

多かったからだ…

 

 

例えば 出会った相手が オレの家族の誰かと

 

知り合いだと 判明した途端に

 

相手は 必ずと言って良い程 オレの力量を

 

品定めするケースが 多かった

 

 

こんな事が ガキの頃から 続いている訳だから

 

こちらも 事に当たる場合は 手を抜かずに

 

一生懸命 取り組む姿勢が 染み付いている

 

 

相手の要求を 満たすような結果が 得られた場合は

 

相手から

 

「流石 レジさんとこの お孫さんでんなぁ~w」

 

「流石 レジんとこの 息子やなw」

 

…等と そこそこの 評価を得る事となる

 

 

だが…

 

オレの疑問は 拭(ぬぐ)えない

 

「この発言は オレの事を 正当に 評価した上での

 発言なのだろうか…?」

 

「これが もし オレの身内と 接点が無かった場合

 この人は 同じだけの 評価や 言葉かけを

 オレに したのだろうか…?」

 

…等々

 

 

相手の要求を 満たすだけの 働きを

 

オレが 達成できた場合は まだ良いのだが

 

相手の要求を 満たせなかった場合は

 

逆の評価が オレの耳に 直接 聞こえて来る事は

 

無かったのだが…

 

 

「流石に 孫の代にもなれば こんな程度か…」

 

「レジんとこも 自分の息子には 甘いな…」

 

という声が 巡り巡って オレの耳に

 

入って来る事も 少なからずあった…

 

 

「京都」という 土地柄の中で

 

オレの評価は 家族との関わりが 分かった時点で

 

良くも悪くも 色眼鏡の要素を 孕(はら)む事が

 

いつの頃からか 苦痛に感じるようになった…

 

 

そんな 苦々しい経験を

 

地元「京都」では して来た訳だが

 

まさか ココに来て 家族の誰もが

 

全く 縁もゆかりも無い 北の大地

 

北海道へ 来る事になろうとは オレ自身

 

思ってもみなかった…w

 

 

そもそも この大学を 受験したのも

 

当時 寺子屋のような 小さな塾で

 

1浪をしていた際 センター試験で

 

何とか オレが 合格できそうな

 

国公立大学を 2浪の友人が 調べてくれた時に

 

友人

「北か南か どっちに行きたい?」

 

レジストリー

「スキーができる方が エエから 北かなw」

 

友人

「あるでっw 北海道っwww

 しかも 2ページ目に あったしっwww」

 

 

この会話を 隣で 聞いていた

 

塾の おばちゃん先生が 慌てて 願書を

 

取り寄せてくれたwww

 

この大学を 受験する きっかけは

 

紛れも無く この 2浪の友人が

 

決めてくれたと 言えるだろうw

 

まぁ…

 

それで 北海道の右端にある 大学を

 

受験してみようと試みる

 

オレも オレなんやろうけどっwww

 

 

話を 元に戻すw

 

たまたまだが 下宿のおばさんと 母は

 

同い年だと 判明してから

 

更に トークに 花が咲いていたw

 

 

このおばさんが とても親切で 良い人だという事は

 

 
母もオレも 初対面の時点で 感じていたのだが

 

初対面ながら 母との会話が こんなにも

 

盛り上がる人も 珍しい事や

 

その会話の内容から 何となくだが

 

「我が家」と 変わらぬ雰囲気を 感じ取っていた

 

 

母と おばさんが 楽しく 話している隣で

 

オレは 1人 色んな事を 考えていた…

 

 

「これまで オレは 京都から 出た事が 無かった

 それ故 家族の誰かと 比較され 正当な評価を

 得られなかった…

 

 この町なら 誰も オレや家族の事を

 知る人は 居ない

 

 むしろ コレは オレにとったら チャンスかも知れん

 それは この町で オレは どんだけ 自分の力を

 試す事が できるやろうか?

 

 大学に行けば どれだけ 友達が できるやろうか?

 イヤ… 大学だけじゃない!

 

 オレは これから この町で 関わる 全ての人達と

 どれだけ 仲良くなれるんか?

 これを 試すのも 面白いなっww

 正に 『腕試し』やなっww

 

 自分の力で どれだけ この町の人達と

 仲良くなれるか 試してみたろっ!!

 

 その手始めに このおばさんに

 オレの4年間を 賭けてみようっ!!」

 

等と こんな事を 考えていたw

 
 

初対面の おばさんに対して

 

随分と 失礼な 内容かも知れんが

 

それでも この時の オレは

 

「このおばさんに 賭けてみようっ!!」

 

という気持ちが 強かった

 

 

結果的に オレの この時の判断は 

 

正しかった

 

 

だからこそ 21年以上も 経っているのに

 

 

こんな風↑に 会いに来てくれる

 

親友達との交流が 今も 続いている

 

 

そして この初心を オレは 持ち続けて

 

大学入学後も 仲間達との交流を

 

積極的に 進めて行った

 

 

2024年3月10日(日)

 

上述の友人とは 違う

 

別の友人が オレを 訪ねて来てくれた

 

今回のシリーズは この友人について 語る
 
そして 21年越しに この友人に対する
 
オレの「見立て」が 当たった話しを
 
書いて行こうと思うw
 
 
続く