震災の記憶 | 走る!宇治の診断士

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宇治に住んでる中小企業診断士です。
2013年5月にサラリーマンをやめて、独立開業への日々を綴ります。

今日のテレビ番組ではいろいろな特番が組まれていたが、明日がちょうど15年目になる。

神戸の震災である。


僕は神戸の出身である。でも、僕の家は西区という被災した地域の中心地からは離れたところにあって被害はそれほど大きいものではなかった。そして、僕は地震があった当時は京都市伏見区で一人暮らしをしていた。1月17日、その京都の一人暮らしをしていたアパートで 寝ていると、大きく揺れがあって住んでいた京都でも目が覚めるほどだった。大きな揺れに驚きつつ、本棚を手で押さえていた。


京都にある職場ではみんな仕事もせず、食堂のテレビのニュース画面から次々に入ってくる凄まじい被害の状況を見つめていた。


早朝には実家に電話がつながったので、家族の無事を確かめていた。そのときはまだこれほど大きな被害が発生しているとは知らなかった。会社に何とかたどり着いてから、放映されているテレビで倒壊した高速道路やかつてよく前を通ったビルが瓦礫になっていたりしているのを知って改めて心配になり、もう一度電話をしてみるともうつながらなくなっていた。無事だとはわかっていながら、電話が通じない状況がさらに不安になり、仕事を早退して、同じ神戸出身の人と一緒に神戸に帰ることにした。


いつもなら、車で高速道路に乗ってしまえば1時間もかからない程度の距離なのだが、この日ばかりは違った。高速道路は全て閉鎖、今でも思い出す光景であるように神戸の阪神高速が倒壊していたのだから当然だ。だから、下道を通って京都から神戸を走った。途中の信号はほとんど全てが消えていて、途中伊丹のあたりだと記憶するがガス臭いところもあった。大きな交差点では消えた信号のせいで双方へ向かう自動車が入り乱れてて渋滞していた。


何か買って帰ろうと思い、神戸市内に入ってからコンビニに行ったがすっからかんの状態だった。売れ残っているのは漫画などの雑誌となぜか下着類で、食べ物は全くなくてそんな何もないコンビニは初めて見た。


自宅に帰って翌日はまた一緒に帰ってきた人を待ち合わせて京都に戻った。途中の神戸市北区あたりのスタンドでガソリンを入れるのにかなりの時間並んだ。


それから1週間後、自動車の神戸市内への乗り入れは制限されていたので、今度は電車で実家まで帰った。かろうじて、阪神電車の青木駅までは動いていたのでそこまで電車に乗って、徒歩で三ノ宮から乗れる北神急行の駅まで行った。