走る!宇治の診断士

走る!宇治の診断士

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宇治に住んでる中小企業診断士です。
2013年5月にサラリーマンをやめて、独立開業への日々を綴ります。

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久しぶりのブログ投稿です。

家族との夏季休暇旅行で、沖縄に行ってきました。
この数年間は、ほぼ毎年ひとりで、NAHAマラソン出場のために沖縄に来ていたのですが、前に家族と来たのは何年振りだろう、というくらい久しぶりなのでした。

今回は、今までの旅行では行けていなかった、本島北部を中心にめぐる旅行でした。

初日は本部のホテル泊。
大阪伊丹空港を出発したのは14時半頃の飛行機で、那覇でレンタカーを借りて、高速を使って名護経由のホテル着。到着したのはもう20時過ぎ。ホテルの食堂は21時が閉店だったので、到着後慌てて食堂へ駆け込んだ形でした。期待していなかったのですが、刺身や沖縄料理もなかなかおいしい店でした。

翌日は朝から美ら海水族館へ。もう10回くらいは沖縄に来ていますが、水族館は初体験。ジンベイザメのいる水槽は大きくて、まるでスクリーンに移る映像のよう。これは見る価値があると思いました。客層は、アジアからの旅行客が1/3くらいの割合でした。アジアだと沖縄と同じような気候の場所もあるのに、あえて彼らが沖縄を目指したのは何故なんだろうと思いました。日本だから安心、日本だからスマート(あか抜けている)、沖縄がアジアにうまくアプローチできているから、と言ったところなんでしょうか。
ここは、海洋博の跡地を利用した広大な面積の公園に位置しています。ここから見える海の色、空の色は印象的に青く、海の向こうに浮かぶ島、伊江島も独特の地形で印象的。ただ、施設と施設の間がとても離れていて、この炎天下では移動は正直つらいものがあります。また、公園内の道案内も少なくて、不親切な印象でした。でも、感心したのは、イルカのショーを行う場所などは水族館とは別になっていて、無料で見られること。これは少し驚きのシステムでした。
もうひとつ気になったのは、なぜこんな場所なのかということ。
那覇空港から車で1時間半くらいはかかる場所にあるため、沖縄来訪10回の人間でも行ったことがなかったような決して便利の良い場所とは言えないところです。海洋博後しばらくして、現在の水族館の前身がこの地に建設されたのは、当時はまだ沖縄がまだ観光で生きていけるほどの人気もなく、海洋博跡地を有効利用するために建設されたのだと思われます。平成14年に立て直された時に、場所を見直すことも出来たはずです。これと言った産業がなく、観光の目玉のなかった北部に、人を呼んで経済を活性化させるために、この一大施設を持ってきたのだと思われます。

続きはまた。

1月9日(木)の午前に虎ノ門で面接があって、前日に東京へ移動しました。東京勤務時代の仲間と調布にあるパルコの前で待ち合わせして、飲みに行きました。1人がいい店を聞いてきてくれたのですが、場所が今一つわからず、結局食べログで評価の良かった「い志井」という焼き鳥屋に行きました。鳥刺しなども食べることができておいしかったのですが、それよりやはり久しぶりに会う人との会話は、タイムマシーンに乗った気分になり、楽しかったなあ。
 お開きとなって、京王線に乗って、新宿三丁目にあるホテルまで移動。新宿駅前から徒歩で移動したのですが、酔いのせいか途中で場所がわからなくなり、ワンメーターでタクシーに乗りました。

 翌日は虎ノ門に移動して、面接。結果はまだですが、かなり微妙なところ・・。午後からは楽天本社の楽天タワーでセミナー受講。いわゆるマーケットプレイスのセミナーです。セミナールームまで案内してくれた女性に聞いたところ、ビル全体が楽天グループの人だけなんだそうで、たかだか10年ちょっとでここまで急成長した企業の勢いを改めて感じました。その日は、品川駅で土産を買って、新幹線で帰りました。

 そして、さらに翌日、朝目覚める前からお腹と腰が痛い。気持ちも悪くて、起きられず、作ってもらったおかゆも少しだけ食べただけ。昼過ぎくらいからさらに状況は悪化。夕方に妻が帰宅してから、体温を測ると相当の熱であることがわかり、そのまま病院へ。診断の結果は、随分以前から人間ドックに行くたびに言われていた胆石。お医者さんに紹介状を書いてもらい、翌日は大きな病院で出術を受けるように言われました。その日はもらった痛み止めの薬を飲んで寝ることができました。

 そうして、さらに翌日、タクシーで病院へ。大病院なので、検査を受けるにもあちこちに移動して、そのたびに順番を待って、最終的に手術を受けることが決定したのは、午後1時頃。実はその時点では痛みはあるものの、それほどのものではなくなっていました。どうも石の位置が動いたためらしいです。それでも、また痛みが出るのも困るので、緊急の手術を御願いしました。

 服を着替えて、点滴などもうってもらい、看護師さんにベッドを押してもらって手術室へ。沢山の人が準備をしていて、私一人のためにと思うと何か申し訳ない気分になりました。マスクのようなものを口に当てられると、しばらくしてシンナーのようなにおいがした途端、記憶がなくなっていました。その次に気づいたのは、名前を何度も何度も呼ばれた時でした。場所はまだ手術室でした。終わりましたよ、と言われてようやく状況が呑み込めました。そしてそこからまた、ベッドを押してもらって病室まで。病室のベッドには看護師さん数人でせいのー!で移動させてもらいました。下半身がスースーすると思ったら、いつの間にかパンツを脱がされていたようでした。パンツをはこうとすると、切ったばかりのお腹に違和感が。それでようやく、手術をしてもらったのだと認識できた、という感じです。

 そしてまた、さらに翌日の朝、先生が診察に来られて、診察とお話を。スポーツは2週間はできないこと、お酒は3日くらいは我慢しなくてはならないこと、食事はもう普通に出来るということなどを聞いて、結局そのまま退院することになりました。妻に10時頃に病院に迎えに来てもらって、退院の運びとなりました。

 今回は、病人というよりは、痛いだけの人でしたが、病院にいると、改めて健康の大切さを肌で感じることができました。それと、病院には、いろいろな人(先生、看護師、事務の人、病人、病人の家族、入院患者、見舞いの人・・)がいて、何か社会の縮図がそこにはあったように思いました。それから、入院したベッドで聞こえてくる私や他の患者に対する看護師さんの対応には頭が下がる思いでした。気力を失っているように思える他の入院患者に対する叱咤激励というのでしょうか、若い看護師さんでもしっかりと対応されていました。
 しかし、やはり当面は来たくないところではありました。
 最近、兵庫県中小企業診断士協会に加入したので、神戸にある協会まで新規会員向けの説明会を聞いてきました。午前中で説明は終わりで、夕方から大阪でとある懇親会が開催される予定があり、空き時間を利用してかつて住んでいた町を探索して来ました。

 山陽電鉄を降りた駅は、滝の茶屋。駅からは海がよく見えて、淡路島を一望できるところです。


住んでいたのは、小学校2年生までなので、今から44年ほど前のことになります。
駅を降りると、店などはすっかり変わっているようでしたが、道の雰囲気には見覚えがあるような気がします。ああこんなに狭い道だったんだといたるところで思いました。
当時は「滝ヶ谷」という町名だったはずですが、今は塩屋町という名前に変わっていましたが、滝乃木材という名前には憶えがありました。


そう、ここを左に曲がって少し進むと、住んでいた家があるはずです。

そして、見つけました。あの家はまだあったのでした。周りの家は新しく建て直されていましたが、その家は当時のままでした。植えてあった木はかなり大きくなっていました。さらに周りを見渡すと、昔よく遊んだ広場(本当は駐車場)もまだあって、その前のアパートもそのままでした。
僕が物心ついた時はもうここの家に住んでいたのですが小学校2年で舞子へ引っ越してからここへ来たのは初めてでした。いや、小学校の時に来ていたかも知れませんが、記憶に定かでないです。通っていた、家のすぐ目にあった東垂水幼稚園(の分館?で、東部幼稚園と呼んでいた気がします)は既にありませんでした。その代り近くには見上げるでっかいマンションが近くに建っていました。

家の裏手に降りる道を探すと、それもまだありました。その本当に細い路地を抜けると、ちょうど家の裏手が見える場所に出ます。見ると、これまた見覚えのあるお地蔵さん。昔ここで地蔵盆をやっていて、お菓子をもらいに来た記憶が蘇りました。

台風が来ていて、雨も降るし、気温も高かったのでかなり汗をかきながら、通っていた小学校にも行ってみました。


東垂水小学校。古い校舎と棕櫚の木にはやはり見覚えがありました。小学校2年生の時のこんな記憶が残っているのに、最近はかなり物忘れがひどいのはどういう訳だ、と思います。
ここからは、明石海峡大橋がよく見えました。こんなに海がよく見えるところにいたんだなあ。

もう少し歩いて、散策してみました。すると、なんと昔よく買い食いした市場を発見しました。
滝乃市場という名前だったのか。お菓子だのコロッケだの5円くらいで買っていた記憶があります。


しかし、すごいところ。廃墟みたいな風情ですが、中に入るとちゃんと営業しているお店もありました。


44年の月日は、この町の姿をそのまま老化させてしまっていました。
昔遊んだ友達が住んでいたアパートも老朽化していて既に人は住んでおらず、綺麗で立派だと思っていたマンションもくすんだ色に変わってしまっていました。よく通った本屋や病気がちだった僕がよく通院していた病院までももう営業はしておらず店をたたんでしまっていました。この辺りは住宅街でアパートが多い場所で、人も多くて活気のある町だった気がしていましたが、すっかり寂しいところになってしまった感じです。

最後に向かったのは、ジェームス山。この近所に住む人以外には違和感のあるこの名前ですが、この辺りは外人住宅街でした。夏休みにカブトムシなどをよく取りに来たところで、たまに図体のでかい外人にグッドモーニング!などと声をかけられた記憶があります。すごく好きな場所だったので、今でもたまにここで遊んだことを懐かしく思い出します。


しかし、ここはすっかり変わってしまっていて、本当に残念。大きなお屋敷があった場所は荒れ放題になっており、庭には入ることができないよう閉鎖されていました。三洋電機の創業者の自宅があった場所だと思いますが、一部の住宅を改造して今は結婚式場みたいなところがありました。

この近くには、道端にあるライオンの口から水が出ている、まるでヨーロッパの街かと思うような一角があったのですが、それらはすっかり姿を消していました。外人住宅街だった場所も、全て日本人の名前の表札の家になっていました。
ここに来るまでは、ほんとに昔のままの場所で、時の止まった町という感じでしたが、一番好きだったこの場所の変わりようには寂寞の思いを覚えました。

実はこの後、さらに引っ越した先の舞子にも行ってみました。舞子は明石海峡大橋がかかって駅前はすっかり変わっているのは知っていたのですが、昔住んでいた星陵台と舞子台のあたりの状況はあまり知りませんでした。まず住んでいた家に行ってみると、これもまだありました。


この坂を下りたところがかつて住んでいた場所です。大橋がよく見えています。
星陵台のあたりには昔は神戸生協支部があって、その近くに住んでいましたが、既に生協支部はなく、よく遊んだ谷は埋め立てられて住宅街になっており、昔よく遊んだ友達の家は姿を消していました。

舞子にはまだ友達が住んでいるので、またそのうち行くことがあるかも知れませんが、滝の茶屋にはもう用事はないかなあと思いますが、滝乃市場とその周辺の行く末はちょっと気になります。