学びと成長について ①   僕の学びのスタイル | LEDサインメーカーの域を超えろ!快適創造プロデューサー高倉博のブログ

学びと成長について ①   僕の学びのスタイル

人はなんのために生きているのでしょうか。

きょうはいきなり大命題を出してみました。

 

 

 

年代によっても答えは変わると思いますが、幼いこどもから年齢的には成人を過ぎた大人まで、

共通していえる生きる目的とは

「成長すること」

ではないかと僕は考えています。

 

 

 

こどもの頃に自覚することができた「成長」は背の高さでした。

3月生まれの僕は、家には兄がいるし、クラスにも1年近く先に生まれたともだちはいるし、

早く大きくなって彼らの身長を越えたい、と思っていました。

久しぶりに会った親戚の第一声もたいていは「大きくなったなあ」ですからね。

 

 

 

成長期を過ぎると身長も個性の部類に入ります。

青年期からの成長は内面に軸を移していくのです。

体を大きくするための糧は栄養のある食事と運動でした。

内面を成長させるための糧は、学びです。

 

 

 

学びも学生時代は科目があって、テストがあって、及第点というものがありました。

大人の学びには正解や合格はないけれども、卒業もありません。

大人のステージに上がったら、学びにおいては20代も50代もいわば学友です。

 

 

 

その観点に立って、7月は「学びと成長について」をテーマに連載します。

まずは僕、高倉博の学びかたから書いていこうと思います。

 

 

 

僕は人から学びかたについてよく褒められます。

こどもの頃には勉強しないことにかけては定評のあったこの僕がなぜ、と思わないでもありません。

学びかたをよくしよう、よい学びかたを身につけよう、と考えてそうなったわけではないのです。

ただ、経営者としての学びは強く意識してきました。

 

 

 

僕だけではなく、いま経営者の多くは学びに貪欲になっています。

勉強会や講演会、経営塾などは盛況です。

僕ももちろん参加しますが、周りを見ると、勉強会のあとで飲みにいって

「あー、きょうも勉強になった」と満足している経営者がほとんど。

勉強会に参加するだけで学べた気がして満足してしまっているようです。

 

 

 

僕が勉強会や講演会に参加するときは、

講師の話を100聴いてそのうち0.1でも持ち帰れたらいい、と思っています。

講義中にメモも取りません。

 

 

 

メモって、書いているうちに次の話にいってしまいませんか。

それであたふたして、書いていることもなんだかわからなくなり、

あとで見返しても暗号かなにかみたいになっていたりする。

そんなメモに気を取られるより、現場で全神経を聴くことだけに集中させるほうが

僕には合っていると思えます。

 

 

 

ただ、聴くにあたっては必ず自分がいま課題として考えているものを意識の前面に出しています。

つまり、自分自身の課題とともに講師の話を聴いているのです。

頭のスイッチを「課題」に入れてフルに回転させています。

 

 

 

「課題」のタービンが回っているとセンサーも働き、

講師の話の内容にビビッと反応することがあります。

それこそが僕がきょうここにきた理由、課題についての「気づき」です。

僕は気づきを得るために学びにきていたのです。

 

 

 

頭のスイッチを「課題」に入れてフル回転させ、ビビッという気づきがやってくるのをじっと待つ。

これが僕の学びのスタイルというわけです。

 

 

 

ちょっと辛口になってしまいますが、僕たちは講師のファンクラブの会員ではありません。

話のすべてにうなづいて感激し、終わったら「いい講演会だったなあ」とまた感激する。

これは経営者の学びではなく、大人の学びにはなりません。

つねに自分の課題をもって臨むことを心がけましょう。

 

 

 

世界に向かって問いを投げかけると、答えは必ず返ってくる、といいます。

勉強会も講演会も、参加しているいまの自分の「世界」に他なりません。

答えは気づきという形でやってきます。

講師の前に限らず、つねに「課題」を前面に出して、

問いを発しつづけるならば、気づきは訪れ、僕たちは答えを見いだすことになるのです。