新型コロナウイルスの感染拡大と緊急事態宣言を経験して
緊急事態宣言が全面的に解除されて、まずはよかったですね。
世界中の誰もが影響を受けざるを得なかった新型コロナウイルスのパンデミック。
疫病の時代と比べて桁違いに国同士が近くなっていることを考えても、近代文明始まって以来の出来事といえるでしょう。
今週一応の節目を迎えたことで「これから」を考える段階に入りました。
僕も、自分自身と快適創造企業レガーロの「これからの未来」を考えるために、このたびの経験について、何回かに分けて書いていこうと思います。
きょうはメンタルの面で僕がどんな対応をしたかをお伝えします。
外出を控え、人と会わないでいると、だんだん気分が落ちていくものです。
これは自然で、ある程度は仕方ないことですね。
人間はコミュニケートして進化してきた生き物ですから。
しかし、この数か月はただのお籠りとは訳が違いました。
精神的な負荷が掛かった上で、ある意味強いられた「自粛」。
落ち込む速度も深度も自分ではコントロールできないようにも思えたのです。
これではいけない、と僕はテレビを見るのをやめました。
知識の豊富な専門家でも初めて見るウイルスです。
確かな見通しを立てられる人はいないに等しいのに、テレビからは一日中予測と憶測が流れてきます。
視聴者の耳目を引くための脚色もなされていたかも知れません。
もともと朝の時計代わりにつけておく程度でしたが、それもいっさいやめて脱テレビ生活です。
YouTubeやNetflixは少し見ましたが、マイナスの情報が入ってくるものは徹底的に避けました。
マイナスに向かっていく率を極力減らしたかったからです。
その上で、気分を上げるための努力をしました。
読書です。
それも目で読むのではなく、耳で聞く読書。
D・カーネギーの『人を動かす』
同じくカーネギーの『道は開ける』
斎藤一人さんの『強運』
この三冊のオーディオブックをヘビーローテーションしたのです。
家で聴いていると、朗読の心地よさについ寝てしまうので、ロードワークのときに聴くようにしました。
走りながら聴くと不思議と内容が入ってきます。
じっとしているときより頭が澄んでいるのでしょうか。
とくに心に響いたのはカーネギーの『道は開ける』でした。
「最悪の事態を受け入れる」というくだりがありました。
いろいろな事例をもとに「最悪の事態」とはなんなのか、事態を好転させるにはどうしたらよいか。が繰り返し説かれていたのです。
おのずと自分にとっての「最悪の事態」とはなんなのか、を考えました。
いまの僕には「倒産」が最悪の事態だ。
倒産したらどうするか、どうしたら好転できるだろうか。
それでも倒産が防げなかったらどうなる…
いや、倒産しても死にはしないだろう。
家族もなんとかなるだろう。
だんだん心が楽になっていきました。
コロナウイルスに感染した場合の最悪な事態とはなんだろう、とも考えました。
最悪は死ぬこと。
僕がいま死んでも家族は大丈夫かな、会社は大丈夫かな。
そもそもコロナウイルスの死亡率を平均値の法則で考えたらどうなるんだろう。
1000人感染して1人死ぬなら飛行機事故と変わらない。
その数字は知っていたけれど僕は飛行機には乗ってきた。
餅を喉に詰まらせて亡くなる人の5分の1、交通事故の10分の1、自殺の20分の1以下。
過剰に怖がってもしかたない。
これでまた気持ちが落ち着きました。
新型コロナウイルスは未知のものだったから、どこの国もブロックしたし、感染したらどんなことになるかわからないから隔離した。
ブロックや隔離の物々しさだけにフォーカスすることはないな、とも思いました。
情報を追いかけてマイナスを取り込まないこと。
心を落ち着かせるものに触れたり、そのための行動をしたりすること。
落ち着いたら、自分の頭でよく考えること。
僕がメンタル面で心がけたのはこれらのことでした。
ここまでよい結果が出ているので、続けていくつもりです。