「共生」を肚に落とす
先輩たちは、僕にとって「智慧の辞書」とも呼べる存在です。
それも手足があって顔があって声で教えてくれる「生きた辞書」。
生きているから、一緒にゴルフをプレイできたり、
合唱団で歌えたり、お酒を飲むこともできます。
そんなありがたい先輩のお一人から、このあいだ「共生」という言葉をいただきました。
僕が「『看板ドック』は、どうやったらよくなりますかねえ」と聞いたときのことです。
先輩はまず「一人でやるつもりか?」と。
「発想が面白いと思うけど、100%シェアはありえないだろう」
「それはそうですけれど…」
「業界の人たちと共生することが成功の鍵だよ」
「共生」…。
まるで初めて聞く言葉のように響きました。
僕は「看板業界を安全第一の業界に変える」と志し「看板ドック」を作ったのです。
「業界を変える」とうたっていながら、
快適創造企業レガーロ「一人」でやろうとしていたと気づきました。
「共生」すなわち、業界の人たちと手を携えてともに進む、
ということが肚に落ちていなかったんですね。
「わかんない野郎と一緒にやりたくない」
僕の心でよくリフレインされていた声です。
好きな仕事に魂を込めているんだから、話のわからない奴と一緒にやるなんて御免だ、
と思っていたのです。
わかるわからないでいうと、世の中の人の八割九割は、話がわからない。
それが実感でしたから、一緒にやるのは話のわかる一割か二割の人とだけに限る。
そんな僕が「看板業界全体」つまり十割を変えるというのは、
客観的に見たら頭でっかちなんですよね。
先輩のおっしゃるように「共生」が第一条件のはず。
しかし、業界の人に「看板ドック」の話をしたとき
「具体的に内容を教えて」といわれて体がグッと拒否反応を起こしたのは事実です。
「なんでライバルに教えないといけないんだ?」
自ら発想して作り上げた側の人間として、抗いようもなくそう感じていました。
でも、僕は知っていたのです。
銀座男声合唱団の団長にして「俺の株式会社」社長・坂本孝さんが
ブックオフをやっていたときのことを。
彼は「リサイクル」という考え方を広めるために、ブックオフのノウハウを公開しました。
その結果、たくさんのリサイクル会社が立ち上がり、
リサイクルの業界が育って、ブックオフをNo.1に押し上げていってくれたのです。
坂本さんはリサイクルの世界で仲間の業者と「共生」していたわけですね。
「株式会社ふくや」創業社長・川原俊夫さんも、
自ら考案した辛子明太子のレシピを地元の同業者に教えました。
周りは反対しましたが、その結果、明太子は博多の名物となり、市場ができたのでした。
僕はいま「看板の安全を検査する」という市場を作ろうとしています。
坂本さんや川原さんのように、情報を公開し、ノウハウを教えるべきとき。
それがまさしく王の道たるやり方だとわかっているのに、
実践行動しようとすると、体が「グッ」と一拍置いてしまう。
面白いなあと思いつつ、まだまだだなあ俺、とも思いつつ。
盗まれてしまう恐怖、真似されてしまう恐怖との戦いなんですね。
見せても真似されなかった経験もしているのに、見せたら真似される、と体が反応する。
ゲームと同じです。
倒したと思うと次のボスが必ず出てくる。
今回のボスも一見強そうですが、根が臆病者ですからね。
「共生」のダンジョンで「看板ドック」が大きく花開くことを信じて、堂々と戦います。