先輩との創業から独立まで | LEDサインメーカーの域を超えろ!快適創造プロデューサー高倉博のブログ

先輩との創業から独立まで

25歳の僕。
父の会社を辞めて、取引先の先輩と二人で、Tシャツの加工業を始めました。


先輩は、当初、僕が2000万円売り上げたら特別賞与を出すといってくれました。
その言葉を励みに、営業をし、どんどん自分の顧客を開拓していったのです。


目標の2000万円を達成したとき、先輩から賞与は出ませんでした。
それでもがんばって、倍の4000万円に達したのですが、やはり賞与はなかったんです。


僕は、高い額のボーナスを期待していたわけではありませんでした。
先輩の要求水準を超える実績を上げて、経営に参画したかったのです。


年末に、僕は先輩に話をしたい、と切り出しました。
来年の年俸を決めるため、1日だけ、お金の話をさせてください、
お金のことを根に持たずに、すっきりと新しい年を迎えたいからと。


しかし、話し合いは不調に終わりました。
先輩には、僕を経営に参画させる気持ちがないこともわかりました。


2年間、仕事を学ばせてくれた先輩への感謝をもって、僕は独立することを決めました。


そして「レガーロ」を自ら創業したのでした。
僕は28歳になっていました。


LEDの「レガーロ」になってからのご縁の方には意外に思われるかも知れませんが、このような経緯で、レガーロはTシャツ加工業として始まったのです。