1/10(水)

 

 

@日本橋

TOHOシネマズ にて

 

 

 

 

ナショナル・シアター・ライブ 2014

『フランケンシュタイン』

 

 

 

2011年|イギリス|126分|R-15

演出:ダニー・ボイル

原作:メアリー・シェリー

出演:ベネディクト・カンバーバッチ、ジョニー・リー・ミラー 他

 

 

 

ベネディクト・カンバーバッチ好きの友人から

昨年末に回覧板(情報)が回ってきて

 

まずは

「ナショナル・シアター・ライブ」

というのはなんぞや? キョロキョロ

 

だったのですが

 

ロンドンの劇場

ロイヤル・ナショナル・シアターで

上演された、演劇の舞台を映像化し

それを映画館で鑑賞できる

という企画らしく

 

私自身は

ベネディクト・カンバーバッチ好き

というわけではないのだけれども

 

演目が『フランケンシュタイン』

というところが気になり

詳細を見てみたらば

 

なんと

ベネディクト・カンバーバッチの

相手役が

 

ジョニー・リー・ミラー

ではないですか お願い

 

この方

アメリカ・CBS製作のテレビドラマ

『エレメンタリー ホームズ&ワトソン in NY』

で、主役のシャーロック・ホームズを

演じている方で

 

とても好んでいる役者さん ラブ

なのです

 

というわけで

 

これは観てみたいぞ! キョロキョロ

 

と、2024年の一本目!と

なったのでした ニコニコ

 

 

余談としては

 

ベネディクト・カンバーバッチも

イギリス・BBC製作のテレビドラマ

『SHERLOCK(シャーロック)』で

シャーロック・ホームズを演じているので

 

そんな、それぞれに

シャーロック・ホームズを演じている

役者どうしの対決!

という見どころも

 

 

そして、この演目

ベネディクト・カンバーバッチ と

ジョニー・リー・ミラー が

博士と怪物を交換こで演じていて

2バージョンあり

 

私が鑑賞したのは

ジョニー・リー・ミラーが

怪物バージョン

 

 

メアリー・シェリーの原作は未読なので

なんとなくのイメージしかないところでまず

「フランケンシュタイン」というのは

怪物の名前ではなく

それを創造した博士の名前なのだな〜

ということを知りつつ

 

 

無数の魂、もしくは、命が

頭上で、星屑の川となって

瞬き、煌めいているかのような

電球装飾の舞台

 

予告映像 ↓ を見ていただけると

わかると思うのだけれども

 

好みな

スチームパンクな世界観も

あったりもし

 

舞台上で火が用いられたり

雨や雪が降ったり

 

家のセットがまるごと

頭上から降下してきて

セッティングされたり

 

はたまた、円形の

回転する舞台下から

室内セットが迫り上がってきたり

 

と、舞台美術にも

見どころがたくさん お願い

 

 

物語は

怪物が生まれ落ちるところ

からはじまり

 

ほぼほぼ怪物の視点で

進んでいく流れ

 

 

この怪物を演じていた

ジョニー・リー・ミラーが

とにかくすごかった

 

冒頭は、よだれを垂らし

身体をもてあまし、震えながら

言葉にならない呻きや

叫びをあげるばかりだった怪物が

 

人との交流によって

言葉を得、知識を得、思考し

徐々に「人間」となっていき

 

やがては…

というラストシーン

 

そのラストシーンを目にしたときに

来し方がブワッとオーバーラップして

 

あぁ、ここまで育ったのか…

という感慨が強く

 

それくらいに

その変遷を演じていた

ジョニー・リー・ミラーが

圧倒的な存在感で

 

まさに「怪物」そのもの

 

 

原作は未読なので

そもそものテーマ等々は

把握していないのだけれども

 

劇中、怪物の問い

「なぜつくった」に対して

博士が口にする

「つくってみたかった」

という趣旨の言葉

 

科学者らしい、というか

 

「怪物」= 命をつくりだすこと

だけならず、これは

その他のこと、たとえば

化学兵器や武器等々にも

当てはまることなんじゃないかと思う

 

目的なく、ただ

「できるかどうか試してみたかった」

という感覚

 

その結果がそののち

どういう影響を及ぼすか

どういう風に利用(もしくは悪用)

されていくか等に

想い馳せられることなく

 

ただただ好奇心の赴くままに

 

けれど、よくも悪くもそういった

科学的(化学的)好奇心によって

人類が発展してきたことも

事実であり

 

と、「人間」そのものを感じ

 

 

「人間」といえば

ラストシーン

 

憎しみによって

結びついたふたり(怪物と博士)が

またなんとも言えず

 

 

自身の好奇心の赴くままに

生み出したもの=怪物

 

けれど、生み出したからには

必要であったはずの餌

「愛情」を与えることはなく

 

飢えた怪物によって

自身の大切なものを奪われ

 

自分の生み出したものを憎み

追いかけ続けることによって

生き続けるという皮肉

 

また、怪物は、それによって

愛情とよく似た

憎悪=執着心を得る

という皮肉

 

 

それから

この演劇の上映は

10年以上前なので

 

それが想定されていたとは

思われないのだけれども

 

ラストシーンに、ふと

 

人間の創造物であるはずの

AI(人工知能)に

先導される日

(掌握されて、操作される日)が

きてしまったりするのかしらん キョロキョロ

 

と、そんな想像をして

ちょっと、ゾゾっと

してしまったりもして

 

 

鑑賞料金が一律 3,000円だったので

一瞬怯んだりしたものの

 

劇場でどっぷりと

味わうことができて

とてもよかった ニコ

でした